「科学成果しっかり地球に」諏訪さんと米田さん、宇宙飛行士正式認定
きっかけは「科学博」「向井さんの伝記」
諏訪さんは1977年、東京都生まれ。茨城県つくば市育ち。米プリンストン大学大学院地球科学研究科修了。青年海外協力隊のルワンダ派遣、世界気象機関(WMO)を経て、2014年に世界銀行に入行した。アフリカの気候変動や防災に関する取り組みに従事した。
飛行士候補に選ばれた昨年2月の会見で、諏訪さんは「飛行士は本当に小さい時からの夢。いくつかの体験を通じ、思いが強くなっていった」と振り返っている。「おそらくその最初は、小学3年生の時に近所(現在のつくば市)で科学博が行われ、両親にねだって何回も連れて行ってもらったこと。科学や宇宙にまず興味を持った。そして、小学5年でアポロ17号の船長に会ったこと」。その後も、秋山豊寛さんが1990年、旧ソ連の宇宙船で日本人で初めて宇宙に行ったできごとや、毛利衛さんが92年、日本人として米スペースシャトルに初搭乗したことを通じ、「宇宙に行った人が語る言葉の重み、キラキラしたものに惹(ひ)かれ、飛行士になりたい考えを新たにしていった」と話した。
海外で開発に深く関わる中で、宇宙開発の成果を世界の国々でもっと感じるようになるべきだとの思いを強めていった。「日本がリーダーシップを取ることに(自分が)貢献できるとの思いもあり、飛行士選抜に参加した」という。
一方、米田さんは1995年、東京都生まれ。京都市育ち。東京大学医学部卒業。同大医学部付属病院(東京都)を経て2021年に日赤医療センター(同)に入職し、虎の門病院(同)に派遣されるなどした。
米田さんは昨年2月の会見で、飛行士を志すようになった経緯について「父からもらった飛行士、向井千秋さんの伝記の漫画を読んだ。宇宙から地球を眺めて感動する姿に大きな感銘を受け、飛行士の職業を知るきっかけになった。医師の経験を、宇宙空間での人体の変化に生かせると考えた」。JAXAが飛行士募集を発表した日、気持ちが高まっていたところ、勤務先の病院からの帰り道に人々が月食を眺める光景に遭遇した。「月はみんなが見つめ、憧れる所。いつも優しい光を地球に届け、見守ってくれている。私も挑戦したい」と、決意を固めたという。