⼦どもは⾃分の所有物じゃない。亜希の「清原くん のお⺟さん」としての⽣き⽅
2024年秋のリーグ戦で3本塁打を放ち、2連勝に貢献した慶應⼤4年の清原正吾さん。ホームランボールは両親と弟に贈ったという。12⽉、プロ⼊りの夢は慶⼤野球部に⼊る弟の勝児さんに託すと明かし、各メディアに報じられた。10⽉のドラフトでは指名がなく、独⽴リーグなど複数の球団から公開オファーを受け注⽬されていたが、⼀般就職の道を選んだ。弟の勝児さんは 2023年、107年ぶりに甲⼦園の優勝を果たした慶應⾼校野球部の選⼿だ。 【写真】亜希さん、15歳で福井から上京し、芸能活動をスタート そんな「最強の兄弟」の⺟は、モデルとしてもおなじみの亜希さん。息⼦たちのための「ふたが閉まらないお弁当」や、名⾔の数々で世のお⺟さんたちを励ましてきた亜希さんの新刊『⼈⽣はプラマイチャラ』(幻冬舎)が発売された。亜希さんにインタビューの機会をいただき、気になる⾔葉について詳しく伺った。インタビュー第1回⽬は、亜希さんが育った環境と、ご⾃⾝の⼦育てについてお伝えする。
⾃分で決めさせた実⺟
52歳の元新聞記者で⼦育て中の筆者は、亜希さん⼀家の活躍をリアルタイムで⾒てきた。 『STORY』のカバーモデルとしてカリスマ的な⼈気がありつつ、息⼦たちのためにボリュームと栄養たっぷりのお弁当を公開。オシャレなお弁当より好感が持てたし、⼦どものニーズを第⼀にすれば⾃由でいい、とお墨付きをもらった気がした。また、⾼校野球の取材をしたり、早慶戦を応援した経験から、そこで活躍する息⼦さんをサポートする親の役割も想像できる。新刊『⼈⽣はプラマイチャラ』には、⼦どもの頃から今までの亜希さんの体験から⽣まれた、「格⾔」と⾔いたくなるような⼒強い⾔葉が並ぶ。思わずその通り! と叫びたくなるようなものから⼀部を紹介し、その⾔葉の背景を聞いた。 【1】誰かに決められる⽣き⽅より、⾃分流で⾏った⽅がいい 15歳から芸能界で働き、⼦育てや離婚を経験した亜希さん。元夫は甲⼦園の頃からのレジェンドプレイヤー・清原和博さん。亜希さん⽈く「⼀家の全員、なにかがあるとネットニュースになる」家族だ。亜希さんはそんな⼀家をまとめるお⺟さんであり、仕事も⼦育ても、⾃分⾃⾝で選び取ってきた。両親は亜希さんが9歳のときに離婚、その後上京して⾃分の⾜で歩いてきた。⼤好きな⺟の「鈴ちゃん」も22年前、天国に旅⽴ってしまった。ただ亜希さんが幼いころから、「⾃分で決断する」ことを後押ししてくれたという。 「私の⺟は、⼦のレールを敷くタイプの⼈ではありませんでした。ただそれはそれで、寂しさもあったんです。過保護じゃないけど、親に”こういうところに⾏った⽅がいい、こういう⼤学もいいよ”なんて、選択肢をもらえる⼈をうらやましいなと思ったりして。 ⺟には、好きなことをしなさいと⾔ってもらいましたが、⾃由にできる反⾯、⾃分でどうにかしなきゃいけないことばかりでした。でも、それがなかったら、今の⾃分はないと思っています。全部、⾃分で決めてきました」