戦力外からの劇的再起星…なぜ横浜DeNA宮國は古巣巨人の“師匠”菅野に投げ勝ち4年ぶり勝利をあげることができたのか?
試合前の選手ミーティングで声があがった。 「初登板の宮國に勝ちをプレゼントしよう」 ダメ押しの代打3ランを放った楠本が、試合後に明かしたものだが、ブルペンで準備に入っていた宮國は「そんなミーティングがあったことは知らなかった」という。 だが、長年敵としてベイ打線と戦ってきて、その怖さを知る宮國は、「粘っていればベイスターズ打線は打ってくれる」と信じていた。 変化球の細かい制球力に欠き、調子の上がらないエースの菅野をそのベイ打線が、ジワジワと攻めたてていく。 8番の山本でさえ、ファウルで粘り四死球で2度出塁するなど、球数を投げさせた。おそらく中継ぎ陣の脆弱さを考え、菅野は長いイニングを投げるつもりで抑え気味にスタートしていたが、途中、ギアを上げざるを得ない状況が何度もあり、4回を終えた時点で、球数はすでに88球である。 5回一死一塁からオースティンがフルカウントから四球を選ぶ。最後はフォークを見送った。思わず菅野が天を仰ぎ悔しさをにじませた微妙なコース。そして、今季は菅野に相性抜群の宮崎である。3回にもタイムリーヒットを放っていた宮崎は、どんな球種にもタイミング、息が合っていた。 菅野の104球目。 「インコースのボールに対して上手く回転して捉えることができた」 150キロのストレートをレフト線に弾き返して同点。牧が死球でつなぎ、不振で7番まで降格したソトが、「チャンスの場面だったのでストライクゾーンにきたボールは積極的に打ちにいこうと決めていた」と奮起。初球のフォークを見逃さず、レフト線に勝ち越しの2点タイムリー。さらに失意の菅野にさらに追い打ちをかけるべく三浦監督が動く。 なお一死二、三塁。山本が初球を強打してバットをまっぷたつに折った、そのあとの2球目だった。電光石火のスクイズ。マウンドを駆け下りてきた菅野がグラブトスしたが、好スタートを切っていた牧が左手を伸ばして滑り込んだ。菅野は左足の裏をさするような仕草を見せ、桑田投手コーチとトレーナーが走り寄り、そのまま降板。 横浜DeNAベンチは、巨人の次の投手が告げられる前に代打のカードを切る。左の楠本。それを見て原監督は、変則左腕の大江を指名した。初球のスライダーだった。「イメージができていた」という楠本がバットを一閃すると打球はライトスタンドへ消えていった。「追い込まれても粘ってみんなで攻略できた」(三浦監督)、結果として大量7点をスコアボードに刻み、宮國の復活勝利を決定的なものにした。菅野の7失点は、19年5月15日の阪神戦で10失点して以来の大量失点である。 支配下登録が決まるやいなや報告をした菅野に投げ勝った宮國は「まず菅野さんと投げ合うこと自体が想像もできなかった」と言い、「怪我したのか心配ですけど」と、その故障を気遣った。