史上最速、幕下付出しでの初土俵から7場所目で新小結・大の里が涙の初優勝。ちょん髷力士のパワーが幕内の土俵で炸裂
◆そびえ立つ大の里 その堂々たる凄さは、千秋楽恒例の「協会ご挨拶」にも表れていた。 初日の「協会ご挨拶」では、八角理事長(元横綱・北勝海)が1横綱、4大関、2関脇、1小結(小結・朝乃山は初日から休場)の8人を土俵上に従えて挨拶をした。ところが怪我のために休場し、千秋楽の土俵に立った三役以上の力士は5人だけ。八角理事長の右に2人、左に2人、真後ろにそびえ立つ大の里の巨大で立派なこと。八角理事長も背後から放たれる強烈オーラに圧迫を感じていたことだろう。迫力あるテレビ画面だった。 大の里の師匠は二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)である。 「大の里」の四股名は、大正から昭和初期の小兵の名大関「大ノ里」がもと。二所ノ関親方が本名の萩原から稀勢の里の四股名になる前の候補だった。親方は「横綱、大関になるような逸材にぜひつけたいと思って温めていた」そうである。(『大相撲中継』令和5年5月20日、毎日新聞出版発行を参考)。 十両では、膝の大怪我で幕内から落ちて十両まで戻ってきた6枚目・若隆景が14勝1敗で優勝。幕内から8年ぶりに十両で相撲を取ることになった3枚目・遠藤は12勝3敗だった。二人とも幕内に復帰して欲しい。
◆伝統を守りながらの変化 話は幕内に戻るが、4日目、豊昇龍と前頭2枚目・平戸海の対戦で、立行司の木村庄之助が平戸海の左足と接触して転倒。立ち上がろうとしたが、豊昇龍に寄り倒された平戸海に再び接触して、寝たままの状態で軍配をあげた。行司も力士も怪我をしなくて良かったが、私は考えた。昔の土俵は審判や行司が怪我をしたのではないかと。 江戸時代には4本の柱が立ち屋根(方屋)を支え、紐で囲って土俵にしていたが、紐が俵になった。昔の浮世絵や写真を見ると、柱のところに審判がどっかりと座っている。行司はいるし、審判はいるし、柱はあるし、力士は相撲を取っているしで、昔の土俵は危険だったのではないか? 柱は昭和27年秋場所から観戦に邪魔なので撤去され、吊り屋根からの房になった。大相撲は伝統を守りながらも変化しているのである。 私は大相撲のあるときだけ、コンビニでスポーツ新聞を買う。いつも同じ店員さんがいて、テキパキと仕事をこなしている。「慣れている仕事でいいですね」と言ったら、意外な答えが返ってきた。「システムとか商品とか変わるので、自分を更新していかないとだめなのですよ」だった。「自分を更新」は素晴らしい言葉だ。
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