東急が「ベトナムの工業地帯」に造る近代都市の姿 日本での「都市開発」経験がベトナムで生きる訳
もっとも、東急が進出した当初のビンズン新都市は、何もない田舎町に過ぎませんでした。それだけに「工業団地しかない田舎に出て行ってどうするのか」「東急はベトナムの不動産ビジネスを何もわかっていない」と揶揄されることもあったそうです。 しかし、「それでも歯をくいしばってやってきたからこそ、今のビンズン新都市がある。そのことに誇りを持ちながら、これからも多くの日系企業と協力し、東急にしかできないジャパン・クオリティのまちづくりに取り組んでいきたい」と平田さん。
その上で「これまでの10年間は『住めるまち』にすることだったが、今後は来街者の誘致も視野に入れ、『来て楽しいまち』という側面も打ち出していきたい」とも。 かつて、日本では郊外型のニュータウン開発において、入居者を一斉に募り、同一世代の比率を極端に高めてしまったことがありました。それゆえに今では多くのニュータウンが急激な高齢化にあえぎ、ゴーストタウン化してしまっています。 こういった経験に学び、昨今の日本の不動産事業会社は段階的な分譲で世代のバランスを取るようにしています。東急もまたTOKYU Garden Cityにおいて段階的な分譲をしたり、分譲と賃貸を組み合わせたりすることによって、地域住民がうまく新陳代謝するようにしています。
こうした知恵もまた日本が先進国であるがゆえに提供できるノウハウであり、今後、郊外に広がっていく都市化、住宅化の動きを考える上でも重要なポイントになりそうです。
蕪木 優典 :I-GLOCALグループ代表