余震続く「熊本地震」 震源はどのように広がっていったのか?
2つの大地震と2つの活断層
そして、最初の地震から約28時間後の16日午前1時25分ごろにM7.3の地震が最大前震の北西側で起きました。この地震では、関東地方を含め山形県までの広範囲にわたり有感地震になりました。韓国でも釜山や済州島で有感でした。 この地震の震源断層は、長さは約30キロで熊本市と嘉島町(かしままち)の直下から東は阿蘇山麓まで達し、北側の地盤が南側の地盤に対して東へずれる右横ズレ断層(※注3)でした。これは阿蘇外輪山の西側斜面から熊本市の南部を北東から南西へ横切り、宇土(うと)半島の先端に至る布田川(ふたがわ)断層帯と呼ばれる活断層に地表で一致していました。断層面は、北側へ約80度で傾斜し、その面上で最大約3.5メートルのズレが生じたと推定されています。観察された地表でのズレは最大で約2メートルに達したと報告されています。 一方、M6.5の最大前震は、布田川断層の途中の益城町から南西へ分岐した日奈久(ひなぐ)断層帯の一部の活断層が右横ズレをおこしたものです。このため、震源断層の真上に位置した益城町では震度7という非常に激しい震動でした。日奈久(ひなぐ)断層帯は、南西方向に延び八代海南部に至ります。 布田川断層と日奈久断層の位置関係は、カタカナの「イ」の文字を右に少し回転させたような配置で、縦棒が日奈久断層にあたります。どちらも右横ずれの動きをしています。 (※注3)右横ズレ断層とは、断層を境にして自分が手前に立ち、相手が断層の向こう側に立っていたとき、断層のズレがおきたとき、相手が右側へ移動した場合です。反対に相手が左側へ移動すると、断層は左横ズレ断層になる
なぜ余震活動がここまで活発なのか
M7.3の本震後、地震活動が震源断層周辺の余震活動だけでなく、飛び離れた地域まで広がりました。 一つは、本震の震源断層の北東延長にあたる阿蘇市です。本震から約1時間半後の16日午前3時03分ごろにM5.8の地震が阿蘇市直下で起き、震度5強が観測されました。そのわずか約50分後に産山(うぶやま)村直下で同じくM5.8の地震が起きました。これらは、本震との相乗作用もあって阿蘇地方に大きな地滑り被害をもたらしてしまいました。 地震活動の拡散はこれだけに収まらず、阿蘇地方の地震の約4時間後に、九重火山や1975年M6.4大分県西部地震の震源域を飛び越え、大分県湯布市直下でM5.4の地震が起きました。こちらも最大震度5弱が観測され、被害をもたらしました。このように本震の余震域から連続して広がるのではなく、飛び離れた場所に地震活動が誘発された例は余りなく、非常に珍しいことです。 余震活動は南西側へも広がり、宇城市で16日午前1時30分ごろにM5.3の余震が起きました。もっと小さな地震は八代(やつしろ)市にも広がり、水俣市の沖でも起きています(図2参照)。 余震の回数も日本の内陸および沿岸で近年発生した地震の中では特に多く、最多だった2004年中越地震を上回りました。これは群発的だった前震群と本震が別の断層で起きている上、阿蘇地方の地震活動、大分県の地震活動と離れた場所の地震活動を引き起こしたので、合計して回数が多くなっています。 そして、2004年中越地震の例では、本震から2か月余り経ってもM5.0の余震が起きています。震源域から少し離れた場所では約10か月経ってM5.0の地震が起きています。ですから今回もまだしばらく注意が必要です。