亜細亜大学野球部大物OB対談「プロになれた理由」と「”日本一の厳しさを”乗り越えたからこその未来」…「恋人の手紙に一緒に涙した仲間」「上級生と一体になれた伝説のドラマ」「真剣にハラをくくってくれた恩師」
2年生までの日数をカウントダウン
日本一厳しい野球部と称されてきた亜細亜大学。常軌を逸した練習メニュー、耳を疑いたくなるような寮生活。 【一覧】プロ野球「最も愛された監督ランキング30」最下位は、まさかの… そんな中で深まった仲間との友情、青春、厳しさばかりではなかった上下関係、転機をくれた恩師との感動話を阿波野秀幸氏、与田剛氏が追懐する。 前回記事『「洗濯で夜は寝られず手が血だらけに」「先輩が寝るまでマッサージとうちわ」…大物OBたちが《日本一厳しい》亜細亜大野球部では「生真面目でも、いい加減でもダメ」と語る「深い理由」』から続く。 阿波野 寮生活が大変だったぶん同期との絆が深まったところもあると思う。夜、洗濯機を回している間って、干し終わるまで寝られないから4階の屋上に行ったりする。すると同級生もいるんだよね。もう夜中の1時とか。そこで「2年生に上がるまでついにあと100日切ったな」って励まし合った。みんな、あと何日かというのは頭にインプットしていた。 与田 そんなやりとりをしていると覚悟も決まってくるんですよね。四の五の言ってもしょうがないとなって、愚痴なんかも口にしなくなっていったし、まわりも言わなくなっていった。 当時は携帯電話もないし、電話もできないから親や友人、知人には手紙で連絡を取っていたじゃないですか。それも屋上で書いていました。 阿波野 寮の受付に届いた手紙が置いてあるから、練習が終わるとみんな、見に行っていた。 与田 彼女から来ているとか、親から来ていないかとかね。たった1枚の便箋でも手紙をどれだけ楽しみにしていたか。先輩がいて部屋では読めないから、屋上で「おい、彼女から手紙が来たよ」って嬉しそうにしていた同期が「剛、『会えなくて寂しい。別れよう』って書いてある」って泣き始めたりして。それで、みんなで一緒になって泣くんですよ、夜中の2時とか3時に。そういうのが青春ですよね。
伝説ドラマで上級生、下級生関係なく盛り上がる
阿波野 時間に追われていたから、お風呂もシャワーで汗を流す程度。坊主頭だから石鹸でグワァ~とやれば終わりだったけど、ちょうどリンスインシャンプーが世に出始めたころでさ、髪の毛、こんなちょっとだけど「おい、リンスがついているらしいぞ。これ、いいんじゃないか」って(笑) 与田 普段おしゃれをすることもないし、ツルツル坊主でキューティクルなんかありゃしないのにね(笑) 阿波野 4年生によっては、みんなでテレビを見て雑談できる部屋もあった。逆にひたすら厳しい要注意人物もいたから、どの部屋になるかの違いは大きかった。 与田 部屋は年に3回くらい変わるんですよね。でも、ドラマ「スクール・ウォーズ」のときだけは、みんな仲良くなっていましたよ。 阿波野 寮全体でハマっていたよね。 与田 ドラマを見て一致団結していた。厳しい先輩でも「スクール・ウォーズ」だけはテレビを見させてくれて、その先輩は番組が終わると「イソップ~」って泣いていた。そういう楽しい時間もありました。 いろいろな後輩たちがいろいろ話していて、厳しいとか、怖いとか、1億円、2億円もらっても戻りたくないといった話のほうがどうしても多くなるんですけど、誕生日会を先輩が開いてくれたりとか、優しいところもいっぱいありました。 ただ日々の生活に精一杯で、そこに目を向けることができずに、しんどい、しんどいとなってしまう。それでも、さっきも言ったように夏ぐらいを越えて、ちょっと余裕が出てくると、そういう先輩たちの優しさとか、寮のおばちゃんたちの優しさとか、仲間たちの存在とか、そういうものがすごく身近に感じられてきて、僕は乗り越えられた気がします。 阿波野 2年生も厳しいだけじゃなくて、自分たちも通ってきた道だから、洗濯機の順番を譲ってくれたり、「洗濯機、そろそろ終わったんじゃないか」と言ってくれたりした。何分で終わるとか、全部、知っているから。 与田 2年生は自分のことをやるだけでよくなって、その苦労も味わってきていますからね。たまにやっておいてくれる2年生とかもいた。面倒な人もいたけど、助けてくれる人も多かったです。 阿波野 2年生になって1年生としての仕事から解放されたときも心底、嬉しかったけど、2年生から上級生に上がるときのこともよく覚えている。入ったときから先輩には「4、3年生の上級生と、2、1年生の下級生の壁がすっげえブ厚いぞ」と言われていて、自習室で監督から「おまえら、今日から上級生じゃ。自覚と責任を持ってしっかりやれ!」みたいな話があって「ありがとうございます!やったー!!」って。 与田 その前に「半上級生」があるんですよね。
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