亜細亜大学野球部大物OB対談「プロになれた理由」と「”日本一の厳しさを”乗り越えたからこその未来」…「恋人の手紙に一緒に涙した仲間」「上級生と一体になれた伝説のドラマ」「真剣にハラをくくってくれた恩師」
白い靴下を履けるようになる
阿波野 そう、そう。2年生の秋、4年生が引退して3年生が1番上、2年生がその下になったときから次の春まで、上級生に相応しいか見極められるんだよな。 与田 でも、半上級生からも上級生に近いことができるようになる。 阿波野 部屋で食べたりとか。 与田 布団を敷いてもらったりとかね。 阿波野 あとは隣駅よりもう一つ先に行くとき、私服でよくなるとか。 与田 それまでの制服じゃなくてよくなる。 阿波野 武蔵引田の両隣の駅まではジャージで行くのが許されていたけど、そこから先は学ランを着ていかなきゃいけない。スポーツ店にスパイクの修理を出しに行くとか、練習が終わってからのときなどはお風呂も入らずに学ランを着て電車に乗って行っていた。 与田 理由はわからないですけど靴下も白を履いてよくなるんですよね。 阿波野 下級生は黒か紺しか履けない。 与田 あと、寮の裏口から出られるようになる。 阿波野 そうそう。寮の玄関からしか出入りしちゃいけなかったのが裏口から出られる。 与田 すると駅までも近くなるんですよね。 阿波野 歩いて15~6分かかるのが12分切れる。 与田 半上級生のときに問題がなければ上級生になって、今度はすべてのことを下級生にやってもらう。とにかく極端な生活。1年生のときはいろいろな意味で人生で一番苦しいとき。それが3、4年生になると20歳とか21歳で一番偉そうにふんぞり返れた。 阿波野 望めば靴一つにしても脱がせてもらえる。上級生は王様で、1年生は平民以下とか、いろいろ言っていたもんね。 与田 大人になって着替える順番に洗濯物を畳んでもらっている人なんていませんからね。 阿波野 ここでしか経験しないことも多かったけど、やっぱり世の中に出たら納得がいかないことはあるし、嫌でもやらないといけないこともある。寮生活での経験は確実に活きている。 与田 「おい、コーラ入れてくれ」と頼まれるたびに、瓶に線を書かせる先輩もいた。 阿波野 勝手に飲まれないためにね。 与田 こんな人もいるんだなと知った。意地の悪い先輩をどうやってかわすかとか、社会に出る準備になった。
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