昭和・平成とはここが大違い…!学校教育、無用に思える「計算力」「国語力」が圧倒的に必要なワケ
変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)の頭文字を取った「VUCA」の時代と言われる現代。 【マンガ】カナダ人が「日本のトンカツ」を食べて唖然…震えるほど感動した一言 変化が目まぐるしく、未来の予測が困難で、正解の見えない時代に子育てする親世代は、いい学校に入っていい会社に入ってというこれまでの「正解」があてはまらず、将来を見据えた子どもの教育に頭を悩ませることも多いだろう。 『AIに潰されない「頭のいい子」の育て方』の筆者、富永雄輔氏はこれに「私が経営している塾の子どもたちを見ていると、幼いなりに彼らは「変わりゆく世界」にしっかりついて行っています。特別な説明を受けるまでもなく、彼らにとって世の中はどんどん変化するのが当たり前であって、確実なものなどありません」と話す。 不確実な現代で子育てをするなか、これからの時代を生き抜く我が子にとって、今必要な学びとはなにか。そのヒントとなる考え方を「もはや禁止は意味がない…「AIに使われる側」から「AIを使う側」に育てる、学校教育「課題のつくり方」」に引きつづきお届けする。
計算の速さは売りにならない
いまDX化が進んだ学校を中心に、試験に電卓や参考書などの持ち込みをOKとしているところが増えています。とくに電卓に関しては、今後あらゆる試験の場で持ち込みが前提となると私は踏んでいます。 電卓を持ち込めば、計算の速い子どもの優位性が失われます。これまでの試験では、数学でも理科でも計算の速い子どもはいい成績が取れたのに、これからは計算が遅い子どもに差を縮められてしまいます。 でも、それでいいのです。なぜなら、計算はAIの得意分野だからです。計算の速さなど、なんの売りにもならない時代が来るためです。 ビジネス界より進んでいる教育現場は、おそらく、みなさんが考えているよりずっとレベルの高い子どもを欲しがっています。電卓の「あり・なし」などとうに超えて、「ここは自分で考えて、ここは電卓に計算させればいい」という判断ができる子どもを求めているのです。 とはいえ、現入試において計算をしっかりやることはまだまだ大切です。一部の学校では変化が起きていると言いましたが、「計算力を武器にできる子」はゼロにはなりません。突出したスピードで正しく計算ができる子は、どこかで絶対に必要とされます。その数は減るでしょうが、むしろ強みは増すかもしれません。 要するに、「戦い方が多様化している」ということです。 結果的に勝てればいいのであって、その方法は多様。ただし、結果が問われるからこそ、その方法が自分に適しているかどうかを見極めることが、非常に大事になってきます。 Jリーグで成績を残しているあるサッカーチームは、その典型です。今は「魅せるサッカー」と言われる、きれいな戦い方がプロサッカー界の主流です。ところが、そのチームは、時代に逆行しているとも思える方法で選手を育成し、成果を上げているのです。 試合での戦い方も泥臭く、汚く見えるプレイもするけれど、結果的に勝っている。まさに明確なポリシーがあるわけで、そのようなやり方に適していると思える選手にとっては、いいチームとなるわけです。 灘中学校の入試は2日間にわたって行われますが、その初日の国語試験は、難しい漢字やことわざなど、徹底的に知識を問うものです。インターネットで調べれば事足りる知識について出題する学校が減っている中で、灘中学校はまったくブレることなく国語の知識を問い続けています。 読解力や思考力はもちろん大事ではあるけれど、それ以前に、「日本人であるならば日本語の知識は必須である」というポリシーが貫かれているのです。 このように、学校や企業といった受け入れサイドが多様化しているのに対し、そのポリシーが自分と合っているかどうかを見誤れば能力は生かせません。親として、我が子の適性を見極めることが、以前にも増して大事になってくるのです。 …つづく<高収入の人は特に要注意…「成功体験」を子どもに語る親が、じつは子育てで「大失敗」している納得のワケ>では、子どもの能力を伸ばすために親自身が変わらなければならない、もっとも大事なことを明かします。
富永 雄輔(進学塾VAMOS代表)