江川卓のピッチングを参考にした川口和久は、高めのストレートで勝負する球界を代表する左腕へと成長した
当時の江川さんのストレートって、今のスピードガンだとおそらく155キロぐらいだと思うんですけど、回転数が多くホップするようなボールを高めに投げて空振りがとれるっていうことをすごく意識されていましたよね。僕も高めのストレートでよく三振をとっていましたし、高めのストレートっていうのは空振りをとる一番の要素だと思っていましたから」 回転数の多い球をインハイに投げて空振り三振を奪う江川の姿こそが、川口のなかで理想のピッチングにピッタリはまったのだ。 【最初に江川卓を見た時の衝撃】 思えば、鳥取城北高2年時に、神宮大会の開会式で川口のすぐ横に法政大4年だった江川がいた。その時に見た江川の岩のようなお尻に、川口は「でけぇ」と口をあんぐりさせるしかなかった。衝撃の出会いから"江川卓"という名前が刻まれ、川口がプロ入りしたルーキーイヤーの1981年に江川が20勝で最多勝。川口にとってますます江川の存在が大きくなっていく。 「入団当初、達川さんは『川口は縦のカーブと真っすぐを使うピッチャーだ』って言っていました。僕のカーブというのは、高めから低めに落ちていく縦変化のボール。高低のボールというのは、打者の目線が追いにくいわけですよ。だから低めにいけばゴロでアウトがとりやすくなる。特に打者の意識が高めのストレートにあれば、カーブを打つのはより難しくなるわけです。真っすぐもカーブも同じ位置からリリースするように努力していました」 高めの速い真っすぐを武器にするには、縦ラインをうまく使うのが必要であり、その要素のなかに高めから低めに落ちるカーブがアクセントとなった。そのためストレートに意識のある打者は、カーブの軌道に追いついていけず、凡打の山を築いていった。 「縦変化をうまく使う江川さんのピッチングは、ランナーが出ると力の入れどころっていうか、のらりくらりからパワーピッチングにパッとシフトチェンジするのに適していた。すごく勉強になりましたね。僕はどちらかというと、コースを突いてカウントをとるのではなく、ファウルでカウントをとるタイプ。要するに、力のあるボールをゾーンに投げ込めば空振りかファウルがとれる。そのピッチングに徹していました。変にコースを狙うよりラクなんですよ」