異国の店主と土地の味/台湾料理店『許厨房』
各地のローカルな風を届けてくれる東京近郊の外国料理店の店主を、料理家の土井光さんと巡るコラム。
土井 こちらのお店は、父のテレビ番組の取材で私も伺わせていただいた以来、プライベートで何度も通っています。ふらりと行ってさくっと食べられて使い勝手もいいですし、何より、ご家族のスタッフと常連さんたちで賑わう店内はアットホームで居心地がいいんですよね。 家族経営で、ほっこりとした会話が後ろから聞こえてくるのも心が温まります。
下田 父と僕が厨房で料理をし、ホールは母を中心に僕の姉2人と高校生の息子が手伝ってくれているんです。
土井 そういえば、息子さんの背丈がまだ低い頃にオーダーを取ってもらった記憶があります! ご家族は全員、台湾の方ですよね?
下田 両親は生粋の台湾人で、結婚後に横浜中華街に来日して45年経ちます。僕の姉2人は台湾で生まれて幼い頃に来日していますが、僕は日本で生まれて日本に帰化もしています。100%台湾の血が流れているけど、結婚した奥さんも日本人ですし、生まれ育ったこの街から離れることはないと思ってね。
土井 ご両親が来日したきっかけはご存じですか? 下田 その当時、好景気だった日本に出稼ぎに来たんです。中華街のお店は、朝の10時から深夜の2時まで当たり前に営業していたので従業員は働き放題でしょう。だから、台湾から日本へ出稼ぎに行く人が多かった時代なんです。ただ、ある程度稼いで数年経つと祖国に帰る人がほとんどだったそうですが、父は『陽華楼』(※すでに閉店)というお店の料理長だったので、帰らずに一生懸命働き続けたんですね。母も『北京飯店』のホールでバリバリ働き、気付いたら台湾より日本にいる年月の方が長くなっていた、というわけだそうで。
土井 お子さんを連れて異国の地へ来られたご両親のストーリーだけでも、たくさんのドラマがありそうですね。
下田 そんな両親のために『許厨房』を作ったといっても過言ではないです。というのも、いくら日本に長く住んでも、リタイアしたら台湾で余生を暮らす人が多く、僕の両親もいずれ台湾へ戻る可能性が高い。そう考えた時に、両親がこの街にいた証を何かしらの形で残したい、そして日本に遊びに帰ってきた時に安心して戻ってこられるホームを作ってあげたいと思ったんです。