関電が金品受領で再び会見(全文3)お菓子か何かと思ったら、その下に金貨
概算額は他の企業でも事前に教えるのか
朝日新聞:ちょっと概算額のことについて触れてないんですけれども、概算額って要するに入札上で言いますと予定価格に当たるわけですよね。今は規模感だとかいうことはほかの企業にもお伝えしていると言ってましたけど、概算額はほかの企業でも事前に教えているんですか。これが普通の企業なんですか。 岩根:ちょっと表現が非常に悪いかもしれませんが、概算額というのは非常に粗い、精度の低いものでございまして、本日公開はさせてはいただけませんけれども、実際に見てますと、かなり概算額と契約額の差は相当大きいものもありまして、どのぐらいの規模かという形でつくったものというふうに理解しておりますが、こういう形の開示をすることが良かったかどうかを含めましてもさらに検証してまいりたいと思います。 朝日新聞:いや、今、社長さんにお聞きしてるのはほかの企業に対しても概算額を教えているんですか、通常。 岩根:ある種の工事につきましては、このぐらいの規模でこのぐらいのお金が出てくると、地元の方ぜひ頑張ってくださいという形でお示ししている例はございます。
原子力事業本部設置後に提供ラッシュが起きたのか
朝日新聞:分かりました。八木会長にお聞きします。美浜の3号機事故が起きたのは2004年です。その1年後に美浜の原子力事業本部ができまして、副社長をトップとして、本店の中之島から美浜のほうに移りました。そのときにうたわれた地域共生です。地域共生っていうのは何かというと、地元振興、イコール地元に金を落とす。ほぼ同義だと思います。 八木会長にお聞きしたいのは、八木会長は2006年から金品を受領していたということはお認めになってらっしゃるわけですけれども、こちらのほうは金品の受領については原子力事業本部が立ち上がったあと、こうした提供ラッシュが起きたのか、それとも従前から、若狭支社時代からあったんでしょうか。これについてはいかがですか。 八木:私が原子力事業本部の役員に就任いたしましたのは2006年から2010年まで。この間初めて原子力を担当したときに森山氏との接点ができたということであります。私の当時の感覚では、森山氏とお会いするのは年に数度ぐらいの頻度だったと思いますが、今そのあと本部長を離れて、私も社長になったわけですが、その間の間、森山氏とお会いすることは一度もありませんでしたが、この間少しエスカレートしているような感じがございます。 それはおそらく震災以降の再稼働等々に向けて、いろいろな国の規制による安全対策工事が非常に多くなったと。いわゆる工事全体が増えたと。そういったことが背景にあるのかと思っておりますので、今の現在起こってるような状況は、昔はそんなにはなかったという記憶をしております。それ以前さかのぼって、私の前任の者の時代にどうだったとかいうのは私もちょっと承知しておりませんが、今回の調査では、私が一応対象者の1人であり、対象者の1人である私が過去をさかのぼるとこういう森山氏との接点があったということで、2006年から2010年のいわゆるお預かりしたものを申告させていただいたんですけど。さかのぼって、さらにさかのぼってという分につきましては、あらためて新しい調査委員会の中でその辺の状況は確認させていただきたいと思います。 【書き起こし】関電が金品受領で再び会見 全文4へ続く