『右上腕動脈閉塞症』から三軍戦で復帰登板の西武・森脇亮介 プロ投手の本能に気付き、予想以上の収穫も手に
胸に去来した安堵の想い
2024年5月25日、西武対巨人の三軍戦、9回表。3人目の打者をレフトフライに打ち取った瞬間、マウンド上の西武・森脇亮介が、大きく、大きく笑った。その笑顔には、たくさんの感情が詰まっていた。 【選手データ】森脇亮介 プロフィール・通算成績・試合速報 「ホッとしています。本当に、まずは何事もなく投げ終わったので」 最も胸に去来したのは、安堵の想いだったという。 2023年7月13日、人生が急転した。 前日の12日の北九州で行われたソフトバンク戦、8回のマウンドに上がり、近藤健介、柳田悠岐から連続空振り三振を奪うなど、無安打、無失点の快投を見せた森脇。だが、その右腕は悲鳴をあげていた。血液が通っていなかったため、感覚がまったくなかったのである。 「少し前から前兆みたいなものはあって。腕の筋肉が張りやすくなっていたり、鎖骨の内側あたりがなんか痛いというか、こっている感じがあったり、若干力が入りずらかったり。でも、投げられていたし、セットアッパーや時にはクローザーもやらせてもらっていたので、やれるところまではやりたいなという思いがありました」 そして、その12日の試合前に右腕はついに限界を迎え、症状が一気に悪化した。 「体は暑いのに、右側だけ全部がすっごく冷たくて。7月なのにずっとカイロを握っていました。もう、投げる前から『ズーーーーーン』って痛くて。加圧トレーニングをしているときのような、『ズシーン』とくるような感じがずっと続いていました」 翌日、病院へ行くと、告げられた病名は『右上腕動脈閉塞症』。右上腕の動脈が詰まってしまっていたのだ。気が付くと、緊急入院が決まり、ドクターや医療スタッフたちによって慌ただしく事が進められていく。 「たぶん、一番つらかったのはそこからの1週間だったと思います。何が何だか分からず、僕だけ取り残されている感じがして。前日にプロ野球のマウンドで投げてたのに、その24時間後ぐらいには、車椅子生活になっているという落差。病棟を出るのも車椅子じゃないと行けない。病院の1階にコンビニがあったのですが、そこに行くのも看護師さんの補助のもと、車椅子で行かなければならなかったですし、病棟内を歩くときは点滴を携えて。先がまったく見えなくて、メンタル的にかなりきていましたね」 あれから9カ月。一時は「野球、またできるのかな?」と考えてしまったこともあった。だが、手術、リハビリ、トレーニングと、それぞれの専門家や、その他多くの人の懸命なサポートにより、一歩一歩、段階を経て、5月25日、実戦復帰の時を迎えることができた。