イギリスから送られてきた謎の小包と「アップルコンピュータ」との出会い[第1部 - 第4話]
実際のツアーでは、「キャンター」という三菱ふそうのトラックを見栄えよくラッピングして、ヨーロッパ中を回りました。そのツアーを皮切りに、山海塾はヨーロッパで更にブレイクして、演劇界で権威のあるパリ市立劇場でトリをつとめるまでになりました。 しばらくして、山海塾のヨーロッパツアーを取り仕切っていたマネージャーから「おもしろいアーティストがいるのでまたサポートしてほしい」と相談を受けました。大気中の放射線をガイガーカウンターで計測し、ピアノにつないで音を出す「空から降るミュージック」という展示会でした。
そのアーティストが、1992年から1994年にかけて放送された子供向けバラエティ番組『ウゴウゴ・ルーガ』のCG制作を担当された氏家啓雄さんでした。イベントの終了後、氏家さんが会社にお礼に来てくださったことをきっかけに仲良くなり、原宿のオフィスに時々遊びに行くようになりました。当時、氏家さんは「Amiga(アミーガ)」というパソコンで『ウゴウゴ・ルーガ』のCG映像を制作していて、その様子を見せてもらったりもしました。
氏家さんはアップルコンピュータの大ファンで、Macのヘビーユーザーでもありました。すぐに意気投合し、僕もMacやパソコンを使ったクリエイティブな世界に心が惹かれていきました。 杓谷:「Amiga」は、米国のコモドールという今はなくなってしまった会社が販売していたパソコンです。比較的低価格なパソコンでありながら、映像制作やCG制作に優れたソフトウェアが充実していたため、テレビ番組や映像ソフトの製作現場で広く使われていたそうですね。
アップルコンピュータに強く惹かれていく
佐藤:その氏家さんのオフィスにいた若いデザイナーの方が、フリーランスとして独立するという話を聞き、旭通信社の仕事をお願いすることにしました。当時はまだDTPやCG(Computer Graphic)の制作ができる人は社内外に少なく、特に三菱自動車工業の対応には必要不可欠になると考えたからです。