「このままじゃ16人にも入れないよ」原晋監督の“厳しさ”を実感した青学大キャプテン「泣きましたね…あの時は」“どん底”の1年前から笑顔で引退するまで
原監督に「コーヒー飲みませんか?」
振り返ると、この1年は故障の連続だった。 前回大会では12月29日に区間エントリーが発表された後、どうにも下半身の痛みが我慢できなくなり、泣く泣く「無理です」と監督に告げざるを得なかった。 「泣きましたね。あの時は」 田中が苦労したのは故障だけではなかった。ポイント練習と、重要なアナウンサー試験の日が重なることもあった。どちらを取るべきか、就職活動の悩みを聞いたこともあった。 原監督は、田中のキャプテンシーをこう語る。 「地元の福井に帰って、アナウンサーになる人材ですから、言葉には意識を持っています。あと、大人との距離感の縮め方が上手じゃないかな。物怖じしないところがあって、それは取材しているみなさんも感じていることかもしれないし、社会人になってからも武器になるでしょうね」 そうした監督の言葉を聞いていたので、田中にどういうスタイルで監督と接しているのか、質問したこともある。 「監督にですか? 寮で朝ごはんの後に『コーヒーを飲みませんか? 』と自分からお誘いして、話す機会をいただいたりしています。キャプテンだから出来ることかもしれませんが、監督がどんなことを考えているのか実際に話を聞けるので、勉強になります」
原監督のボヤキ「4年生が甘い」
こうした距離の縮め方は、田中の特色である。田中はキャプテンに自ら立候補したが、それは理想のチーム像を持っていたからだ。 「僕たちの学年は個性が強いので、思ったことを腹にためず、どんどんオープンにして欲しいと思ってました」 雰囲気作りは順調だったが、やはり危機はあった。 11月の全日本大学駅伝で国学院、駒澤に力負けし、3位に沈んだ時である。原監督は、 「4年生が甘い。強いんだけど、なんかのんびりしてるのよ。4年生がしっかりすれば、箱根じゃ負けないチームなんだけど、こればかりは分かりません。彼ら次第!」 と4年生に下駄を預けるようなコメントをしていた。 田中は練習が積めない時期は、「練習が出来ないと、キャプテンとしての言葉に重みをもたせられなくて」と悩んでもいた。しかし、12月に入って調子が上向いたことで、競技力とキャプテンシーのバランスが取れていった。 田中をはじめ、チームで作った今季のスローガンは「大手町で笑おう」。 「もちろん優勝して笑うイメージですけど、そのためにはプロセスが大切だと思うので」と田中が話していた去年の春のことが懐かしい。 そして2025年1月3日、田中は青学大のユニフォームを着て、初めて箱根駅伝の先頭を走った。 「本当に気持ちよかったですよ。箱根駅伝の先頭を走るのは」 田中の笑顔は、安堵の笑顔だった。 明日からは、練習から、そして痛みからも解放されるに違いない。 監督からの「愛の鞭」を受け止めつつ、田中悠登の陸上競技人生は、優勝で幕をおろした。 <《エース黒田朝日》編から続く>
(「スポーツ・インテリジェンス原論」生島淳 = 文)
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