「地域の役に立ちたい」二重被災の町で唯一のスーパー 店を開け続ける家族の思い
住民は: 「やっぱりその地元の人の誰かに会うことがね。それが一番楽しみ。それに車とか運転できない人は、ちょっと離れたところを買い物に行かなくちゃいけないですし、やっぱりここにあれば助かります」 「なくてはならないお店なので、ぜひ再開してほしいです」 住民の思いに3代目の一知さんも再び店を開けることを決意しました。 本谷 一知 さん: 「店なくなったらさ、心に火を灯すのも大変だよ。俺は商売人だから、商売人として言いたいこと言ってもらって、また元気を出してっていう、そういう場を作って貢献できればなと思う」
11月。 本谷 一郎 さん: 「だいぶ片付いてきたな。今日初入荷してるんだわ。ほんなん。初入荷して。向こうに全部こっちにあったやつを全部ずらしてんだわ。なんでちょっと手伝って、助言してあげたら、みんなみんなで動いてるから、みんな。こりゃいいな。へえ」
お店の一角に積まれたパンや調味料。まだ仮オープンという形ですが、豪雨以来、約50日ぶりにお客さんを迎えることができました。 そしてこの日はもとやスーパーにとって特別な日でもありました。 本谷 一知 さん: 「11月11日は、ほらもとやの創業祭だと。うちのばあちゃんも11月1日生まれなんで、まあ偶然か。悠樹の誕生日も11月11日でさ。地震が1月1日に何かと1に縁のあるもとやスーパーということで、はい誕生日おめでとう」
社会人になって初めての誕生日。悠樹さんは、岐阜での仕事を辞め、もとやスーパーで働くことを決めました。 本谷 悠樹 さん: 「やっぱり地震があって、水害があって、連続であって、やっぱりここが一番このお店の踏ん張り時か分かんないですけど、ここでやっぱり立て直さなかったら、この後、自分がいなかったらすごい自分自身が後悔しそうだな。やっぱりここのお店でちっちゃいころから育って、学校も行かせてもらってみたいな感じなんで、ここで恩返ししなかったら、後々後悔しそうだなというのが直感ですけど、そんな感じで、今ここにいるべきなんじゃないかなというのが一番ですね」 3週間後にはさらに売り場を広げ、本格的に営業を再開することも決まりました。