「地域の役に立ちたい」二重被災の町で唯一のスーパー 店を開け続ける家族の思い
そして一知さんには… 実は、新たなお店の構想が浮かんでいるようです。 本谷 一知さん: 「お客さんはさ、ここからこうやって入ってくるわけ。入ってきて、ここが入り口じゃない。ここでもバナナとかちゃんと並べるわけ。ここにイチゴが並んでるわけで、ここからスーパー入って宿泊する人はここで、レジで、ここでちょっとお二人なんですけど、わかりました、これピッて、ここで宿泊施設に行くと」 「ここにまっすぐ1本線があって、ここに部屋があるわけで、こう入って、ここでがちゃっと入って、ちょっとWiFiでパソコンできたり、スマホいじったりできて、空調で温度調整して、家族3人、4人でもいけますかね、なんて。ここをちゃんと家族の部屋にするわけですね。ダブルベッド置いて。こことここ、ちゃんと洋式の広いトイレにして、ほんでシャワールームは冷蔵庫が4つあるでしょ。これがちょうどシャワースペースになるんだわ」 「やっぱり移住者だとか作業員だとか帰省客だとか観光客で、この町野はもちろんだけど、地方再生の何かそういうベンチャー的な事業をしたいんだよね、将来的には」
地震と豪雨に見舞われ手探りで歩み続けたこの1年。背中を押してくれたのは地域の絆と…父、一郎さんの思いでした。 本谷 一知 さん: 「2メートルの津波が来たじゃない。あの中でも親父は下に残ったんだよね。なんで逃げないのか。俺はこの店と一緒に死ぬんやって最後まで。うちの親父2代目だけど、1代目が守ったこの店を守る。最後にあとは頼むぞって言うわけ。水が引いた中も泥だらけでさ、ベッドで寝てるわけで、虫まみれで。でも幸せだっていうのは、お前が頑張ってるし、お前につなぐのが俺の仕事だということを寝ながら言うわけ。やっぱりそういう人たちの気持ち、この町に可能性を感じている人たちの気持ち、だから思いに対する責任っていうのは、俺は背負ってると思っている。それはやっぱりここを灯つけて、また業態を変えてでも、人を集められるような場所にしたい。もちろん水害対策はちゃんとしないといけない。それはちゃんとした上で、やっぱりここをもう一回にぎやかな場所にするっていう責任を背負わされていると思っている」 記者: 「まだ想像がつかないんですけど、今の状況が実現できますか?」
本谷 一知 さん: 「わかんない。はっきり言ってわかんない。いいものにもなるかもしれないし、何もならないかもしれない。それは約束できないけど、でもまあ、なんだろう。やろうとしないとならないからね。うん」 迎えた復活オープンの日。店にはあふれんばかりの買い物客が訪れました。その応対はもちろん、家族総出で。 この町とずっと生きていきたい。形は変わっても必要とされる限り町に一軒しかないスーパーを開け続けたい。 「ありがとうございます!」 本谷さん一家の願いは、これからも決して変わることはありません。