「地域の役に立ちたい」二重被災の町で唯一のスーパー 店を開け続ける家族の思い
そこには、全国から集まった災害ボランティアの姿がありました。ニュースで甚大な被害を知り駆け付けてくれたのです。 そして、お店には岐阜県で働く一知さんの息子、悠樹さんの姿も…
一知さんの次男・本谷 悠樹 さん: 「心配になったんで帰ってきました。とりあえず」 半年前、輪島市内の高校を卒業した悠樹さん。就職した会社の勧めもあり、一時的に戻ってきたのです。 本谷 悠樹 さん: 「(父の一知さんは)地震のときでも辞めるって言わなかったんで、ちょっと心配だなと思って。まさか地震よりひどいとは思ってなかったので」 父の力になりたい。その思いは店をたたむと口にした一知さんにも伝わったようです。
本谷 一知 さん: 「ずっと落ち込むのも疲れるしね。表情を変えたり、言葉を変えたり、元気を出すというのは1人でもできるからね。そこからやろうと思った。その輪がこうやって広がってきてんだよね、みんな」 一方、一郎さんは… 自らが身を寄せる近くの仮設住宅へ。 本谷 一郎 さん: 「バナナこれ喜ぶわ」
少しでも足しになればと店にある支援物資を袋に詰め、住民に届けているといいます。 本谷 一郎 さん: 「婆ちゃん、どっか出かけてるな。そこの横のお年寄りどうしとる?出ておらんな」 住民: 「いらっしゃるような気がするけど、おらんけ?」 本谷 一郎 さん: 「おらん。そしたら、年寄りで(受け取りに)来ない人に配ってほしい」
本谷 一郎 さん: 「みんな何もそのまま我慢するだけだから。特にここのおばあちゃんはおにぎり3つもらったら1日1個でやってたわけだから、そういう人たち見てるとかわいそうで、なんかせめてな、役に立ってくれれば」 創業78年。町に一軒しかないスーパーを親子3代にわたって切り盛りしてきた、本谷さん一家。 地域の役に立ちたい。一郎さんは、その一心で店を続けてきたと話します。 本谷 一郎 さん: 「要は、この町野っていうところはここしか出ないんです販売店は。だからここがなくなると、あとはお年寄りに歩いて穴水行け、柳田行けって言えますか。しかもバスも通ってない。だからそこでね、私らが頑張って、ともかくしないことには、この近くにいるお年寄りはどうします。できるだけこの近くの人たちの輪を守りたい。それはもう誰だって同じです」