「今でも会いたい…元気な息子返して」23年前『集団登校』狙いワゴン車が列に突っ込んだ…うずくまる児童の傍に散らばるランドセル 7歳息子を亡くした父親 20年以上経っても変わらない悲しみ
苦しむ遺族を救った”愛情” 「裕介、成人式行くで」
悲しみや憎しみ、そして怒り。月日を経るごとに込み上げてくる様々な感情に、悩み苦しんだ湯浅さん。そんな中、周囲の人の想いに救われる出来事があったといいます。その1つが、裕介さんが20歳を迎える年の「成人の日」でした。 (湯浅さん)「(みんな)仲良しで。この子が20歳になるときに『裕介、成人式行くで』って。みんな友達連れてきてくれて。そのあとの二次会にも連れていくって。(裕介の写真を)持って行ってもらって、それがその写真かな」 同い年のいとこや同級生らと成人式、その後二次会まで一緒に過ごした裕介さん。小学校卒業を迎える年には、担任の先生から裕介さんの名前が入った卒業証書をもらいました。当時も今も変わらず、裕介さんへ愛情を注いでくれる周りの人たちに、湯浅さんは助けられ、支えられたと話します。
誰もが犯罪被害者となりえる社会 23年経ても“願う”「会いたい、元気な裕介を返して・・・」
「物にも人にもすべてに恵まれるように、豊かに暮らせるように」そんな思いで名づけられた裕介さん。小学校の授業では「将来、大工さんになってお父さん、お母さんに家を建てる」と話していたといいます。生きていたら、30歳。 湯浅さんは、『講演すると、事件の朝に引きずり戻された気がする』といい、講演中、時に涙し、言葉を詰まらせながら必死で思いを伝えているように見えました。それでも講演するのは、亡くなった裕介さんのためにも犯罪を起こさないような社会を作っていく必要がある、という強い思いからでした。 (湯浅さん)「この事件が起こるまで私たち家族は犯罪被害に全く無縁でした、つゆほども自分の身に起こるなんて思ったことがありませんでした。社会に生きる誰もが犯罪被害者となりえる社会です。もし不幸にして皆様の周りに犯罪被害者がでるようなことがあれば、傍にそっと寄り添って、末永く心の支えとなっていただければありがたいと思います」 記者からの質問に、そう話し続けた湯浅さん。それでもやっぱり・・・湯浅さんが今、一番願うのは。 (湯浅さん)「裕介に会いたい、元気な裕介を返して欲しい・・・」 事件から23年が経とうとしていますが、今もこの願いは変わりません。