福島原発告訴団の会見(全文2/完・質疑応答)安全アピールは東京五輪のため
行政のデータ隠ぺいが避難遅れの原因
ドイツテレビ:ドイツテレビの西里です。今回、最近、つい今月ですけれども、福島に取材に行ってまいりました。それで、50キロ圏の汚染が非常にひどい汚染があるということを確認しました。武藤さんは45キロとおっしゃってたんですけど、50、60キロの人たちはなんの補償もないまま、多くはそのまま暮らしている。子どもたちもそこにずっと暮らしているという現状にがくぜんとしました。 それで、20キロ、30キロの人たちとの連携っていうんですか、今度の被団協の中にはいろいろな距離の人が一緒になっているんでしょうか。非常にそこのところは結構連携が難しいという事態も起こっているように思うんですけれども、その辺のところをお聞きしたいのと、それから同心円のこの線っていうの、飯舘だけがちょっと例外になりましたけれど、その辺2つのことをお聞きしたいんです。 武藤:この5年間の間に福島県民は非常に分断をされてきました。それは避難区域の問題や賠償金の違いによって、それぞれが不信感に陥るという、そして対立するという現象も起きてきていました。しかし、それぞれの被害というものをお互いが知らないということが問題だと思ったんですね。それで、お互いに、今回、ひだんれんを結成したのは、本当に立場の違う人たち、状況の違う人たちが一緒になる、そしてその被害がそれぞれ違うんだということをお互いに理解するためという理由もありました。分断を越えて、みんなつながることによって大きな力になっていきたいと思っています。あと、同心円の。 長谷川:じゃあ私のほうからは同心円について、ちょっとお話をさせていただきたいと思います。私は非常にナンセンスなやり方だと思ってます。国では当初から同心円というものを出してはきました。しかし、実際的にはSPEEDIというものがありますよね、スーパーコンピュータ。あれのデータでは、すでにもう北西部に流れているということは分かっていたんですね。にもかかわらず、そのデータを国では隠してしまったということなんです。それによって、私の住む飯舘村は30キロ外という表現によって、取り残されていったわけですね。 しかしながら汚染が非常にひどいということが隠し切れなくなり、そして1カ月後にようやく計画的避難というものが設定されたんだと思います。その結果、やはり今回の福島第一原発の事故によって、福島県内でこの飯舘村の人たちが最も被曝をしてしまったわけです。それは国からの避難指示の遅れ、そして行政のふるさとを捨てたくないという強い思いから避難がどんどん遅れていった、その結果、最大の被曝をしていったということが言えます。