「最初の3分で意識を失いました」がん闘病の西村修が決死の復帰 試合後は大仁田と合体
試合後にドラマ「僕は西村さんを憎くも何ともありません」
食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が8日のFMWE神奈川・鶴見青果市場大会で開頭手術後、初の復帰戦に臨んだ。電流爆破バットによる強烈な一撃をくらいながらも戦い抜き、「最後の最後まで悔いなく生きる」と叫んだ。試合後は大仁田厚との初タッグ結成を決断。西村は大仁田へのあふれる感謝の思いを口にした。 【写真】地獄のリングで何が起きた? 生還した西村修、大仁田とのファイヤー!、青木真也も参戦の一部始終、実際の写真 西村はメインイベントで青木真也、竹村克司と組み、大仁田、雷神矢口、マンモス佐々木組と激突した。試合前には息子や幼稚園の同級生がリングに上がり、花束で激励。これで気合を入れると、ゴングと同時に大仁田と場外戦になだれ込み、気迫のファイトを展開した。 リング上では青木とダブルのサブミッションを披露。大きな見せ場を作ったが、電流爆破バットを胸に被弾して動きがストップする。最後は大仁田と矢口による電流爆破バットでサンドイッチにされた竹村を見殺しにしてしまった。 「最初の3分で意識を失いました。大仁田さんのナックルパートと空き缶とパイプいす。やっぱり何か月も攻撃食らっていませんからね。本当にちょこんちょこんっていう技でも頭がもうぐるぐる回っちゃって……。基本的にずっと意識が飛んでいました。プロとして失格ですよね」 10月28日に食道から転移した脳腫瘍を摘出するため7時間半に及ぶ開頭手術を受けた。そのわずか41日後に上がったリング。できる限りのコンディションを整えてきたものの、実戦不足で耐性の低下は否めなかった。「あれじゃ本当にどうしようもない。それだけ病と戦うっていうのは大変なことですよ」と反省の弁が口を突いた。 ただ、西村の戦う姿は、大仁田の心を動かした。 試合後、大仁田は「西村さん、ステージ4でもいつまでも、いつまでも、いつまでもリングに上がってください」とエールを送った。西村は「人間というのはいつか必ず死が訪れます。最後の最後まで悔いなく生きることが私たちの課せられた使命です。私はその日まで目一杯戦い抜きます!」と叫び、集まった超満員のファンから歓声を浴びた。 すると、サプライズが起こる。大仁田は「僕ははっきり言って西村さんを憎くも何ともありません。ぜひ西村、大仁田組を実現させたいと思います」とタッグ結成を呼びかけ、西村は熱い抱擁で快諾した。 西村の追い求めるクラシカルな「無我」のプロレスと、凶器使用や何でもあり大仁田の邪道スタイルは水と油だ。しかし、西村にとって大仁田は、今や単なる対戦相手以上の存在になっている。 「大仁田さんが声をかけてくださらなかったら私は間違いなく家で寝てますよね。そしたら今より何十倍もコンディションは落ちている。私自身、メッセージも与えることもできないし、お客様から声援をいただくこともできないし、確実に死に向かっていたでしょう。大仁田さんが生きる活力を導いてくださった。こんなに感謝ってものはないですよね」 医学的にはもちろん、ドクターストップの状態。ステージ4のがん患者に対しては、試合のオファーを出す側も非常識だと批判の対象になりうる。だが、大仁田は西村の意思を汲みつつ、迷うことなく出場を打診。リングという「生きるための舞台」を提供した。