”いぶし銀のミスター広島”石原慶幸捕手が引退発表…謎リードの裏に19年間貫いた学びの精神と無形の力
広島は12日、石原慶幸捕手(41)の今季限り引退を発表した。16日に引退会見を行い、11月7日にマツダスタジアムの阪神戦で引退セレモニーが行われる。石原はプロ19年目となる今季の開幕1軍メンバーに選ばれたが、出場機会は限られ、8月27日の横浜DeNA戦でショートゴロを打った際の走塁で左足を痛め28日に登録を抹消されていた。最後は怪我に泣いたが、暗黒期からリーグ3連覇までを支えた名捕手の引退に労う声がカープファンから集まっている。
若手投手を育てた「声がけ」
“いぶし銀”のミスターカープである。 石原は、県立岐阜商高から東北福祉大を経て、2001年のドラフト4巡目で広島に入団。2年目の2003年から1軍に定着。2008年から4年連続で100試合以上に出場、2009年には第2回WBCの日本代表に選出され、2016年には正捕手としてチームを25年ぶりのリーグ優勝に導き3連覇に貢献した。 石原はカープになくてはならない選手だった。チームにとって”無形の力”となったのが、石原の若手投手への「声かけ」である。 石原からこんな話を聞いたことがある。 「ここ数年は若い人に声をかけるように心掛けていました。それがチームの貢献する仕事だと。まずはピッチャーひとりひとりの性格を知ることが大切でした。気持ちの弱い子がいれば強い子もいます。性格に合わせて声のかけ方を変えるんです」 マウンド上で、かっとする投手には気持ちを落ち着かせるような言葉を投げかけた。逆に闘志が出てこず及び腰の投手には強烈なハッパをかけてバッターに対し勝負させた。 それはリード面にも反映させたという。18.44メートルの距離での会話である。
石原とはスポーツ紙のカープ番時代に何度も酒席を共にしたが、実直で、誰にでも愛される男だった。とにかく人の話を良く聞く。若い頃は、東北福祉大の先輩である金本知憲氏に可愛いがられ、一緒に酒を飲むと、必ず野球談議となり、その場でバッティングを教えてもらうこともあった。 相手が先輩であろうが、後輩であろうが、学びの精神を忘れない。それが石原のキャッチャーとしての成功の理由だと思った。 「マエケンの野球への取り組み方を見て逆に勉強させられました。こっちが細かいことを言う前に、先取りして自分でやっているんです。すべてにおいてセンスが抜群。メジャーリーガーとして成功するのも当然です」 2006年の高校生ドラフト1巡目で指名されたPL学園の前田健太は2年目に頭角を現して、石原とコンビを組んだが、教えるのではなく学んだという。 その石原の哲学が他球団から「謎」と恐れられたリード面にも生きる。 選手の性格を知り、相手の狙いを知り、もちろんデータも参考にしながら、状況に応じて感性を生かしてベストの球種、コースのサインを出す。ジョンソンの専属キャッチャーとして有名になったが、気難しいメジャーリーガーは、石原のサインにクビをふることはほとんどなかった。「お互いに信頼しあっていたということですね」と石原は語っていた。 晩年。ベテランと呼ばれ、選手としての岐路にいた石原を捕手としてV字回復させる出来事もあった。 2014年オフのメジャーリーガー、黒田博樹と、阪神を戦力外になった新井貴浩のカープ復帰である。このとき、石原は、「よくおめおめと帰ってこれましたね」とFAで一度は出ていった新井をいじったが、それは2人の信頼関係と歓迎の裏返しだった。