敵国に武器を売り、自国の軍隊を壊滅させた武器商人
「機関砲王」ハイラム・マキシム
この「死の商人」に「祖国」はない、という「死の商人」のモラルを地で行ったのは、例の「機関砲王」ハイラム・マキシム(Sir Hiram Stevens Maxim)(一八四〇―一九一六)であった。 このアメリカ生れのイギリス人発明家マキシムの機関砲を一番最初に買った顧客の一人は、南アフリカのボーア人だった。それは、ちょうどボーア戦争(一八九九―一九〇二年)の始まる直前のことだった。イギリスがボーア人と事を構えそうなことは、すでに、はっきり分っていたのだが、マキシムは、それを承知のうえで、イギリスの敵ボーア人に機関砲を売ったのである。 この機関砲は、その音響になぞらえて、いみじくも「ポムポム砲」と名づけられたが、ボーア人たちは、この「ポムポム砲」で武装し、イギリス軍に頑強に抵抗した。後年、マキシムは自叙伝『わが生涯』のなかで、誇らかに書いている――「四人のボーア人が一組で操作したポムポム砲は……ごく短時間でイギリス軍砲兵陣地を壊滅させるのが常であった」。 マキシムの同僚たる他の「死の商人」たちも、彼に引けをとるどころではなかった。 「マキシムさん、祖国をこよなく愛し、祖国のために全力をささげてつくすことは、人の道としては、まったく正しくもあり、ひじょうに賞讃に値することでもあります。しかし、あなたはイギリスの一会社の重役の一人なのですぞ。われわれは中立でなくてはならぬ。われわれは、どちらがわにつくこともできないのだ」。「機関砲王」ハイラム・マキシムに向かって、同僚である重役の一人は、「死の商人」のモラルについて、こう諭したものである。 第一次世界大戦中にも、このような「死の商人」の活躍は、数え切れぬほどあった。その二、三のサンプルを抜き出してみよう―― ---------- ⑴ 一九一五年、イギリスの一軍艦は、ダーダネルス海峡で、トルコがイギリスの兵器会社ヴィッカースから購入した要塞砲で撃沈された。 ⑵ 「イギリス海軍はドイツから買ったパルゼファール飛行船二〇〇隻のおかげでドイツ潜水艦の攻撃を効果的に防禦できた」(海軍少将M・F・シューターの証言)。 ⑶ スカゲラク海峡の海戦でイギリス艦隊は、カール・ツァイス製の光学兵器でドイツ海軍を大いに悩ました。 ⑷ 「イギリスが一九一五年にスウェーデンに輸出したニッケルは戦前の二倍に達したが、そのほとんど全部は鉱石のまま、または武器となってドイツに再輸出された」(イギリスの提督W・P・コンセットの証言)。 ⑸ 「大戦中、ドイツの鉄や鋼は敵国に入って敵国の戦争遂行を助けた……敵国へゆくドイツの鋼鉄! 戦時中、ドイツ重工業は『宿敵』と手をにぎりあったのである」(アルトゥール・サテルヌス)。 ---------- では、なぜ、このようなことが、数限りもなく、おこったのであろうか。それは、「死の商人」にとっては、「会社は『愛国主義』に頼って生存することはできない、われわれの株主は『配当』をもらわねばならないからだ」(G・D・ボールドウィン)という鉄則があくまで貫かれねばならなかったからだ。
学術文庫&選書メチエ編集部