耳の聴こえない女性がはじめて「ラフマニノフ」を「感じた」とき…マンガ『私たちが目を澄ますとき、』が描く、聴こえない世界の”音楽”
「無意識の偏見」をテーマにして
“ろう”のピッチャー・相澤真白と“聴”のキャッチャー・野中宏晃という高校球児バッテリーの青春を描く『僕らには僕らの言葉がある』は話題を呼んだ。芙美子はその真白の母親。「芙美子の過去も描きたいと思っていた」と話す詠里さんが、両作品共通のテーマとしているのが「無意識の偏見」だ。 芙美子はアルバイト先で「耳が聴こえないから仕事を任せられない」「大変だろうから助けてあげる」と腫れ物のように扱われる。相澤も最初は「どうせ聴こえてないのに……」と思いながらピアノを弾き始めた。 「あくまで意識の中での話ですが、『聴こえない人』の存在を感じていない聴者はけっこう多い。音楽活動をしている人は特にそうかもしれません。この作品の話をすると、みなさん一様に『聴こえないなんて、音楽がわからないなんて、とてもかわいそう……』と哀れみ、『ろう者が主人公なのに音楽の話なの!?』と驚く。そこに悪気はまったくなく、耳で聴いてきたことで無意識に生じる偏見なのだと感じています」 かつては「自分も同じだった」と語る詠里さん。だから作品では、聴者のために情報を整備し、場面をわかりやすく展開することよりも、芙美子をろう者としてなるべく忠実に描くことに重きを置いたという。 「私自身が聴者なので完全に描くことは難しいですが、聴者にとって都合よく描かれたろう者にならないよう、芙美子という一人の人間が何をどのように考え、行動し、発言しているかということを大切にしています」 象徴するのが手話のシーンだ。作品には音声のセリフなら1コマですむような内容を、見開き2ページを使って手話で話す場面も登場する。 「この内容に2ページも使うなんて……と思うかもしれませんが、芙美子が日本語ではなく、自分の母語である手話でいきいきと話す様子をじっくり見てもらいたいので、あえてもったいない使いかたをさせてもらいました。手話の見せ方には特に力を入れているので、ふだん読まれている漫画との違いも楽しんでもらえたら嬉しいですね」