耳の聴こえない女性がはじめて「ラフマニノフ」を「感じた」とき…マンガ『私たちが目を澄ますとき、』が描く、聴こえない世界の”音楽”
聴こえない世界の“音楽”
作中で相澤が弾くピアノの傍らに座った芙美子も、床から伝わってくるピアノの振動を感じて曲のイメージが目の前に広がっていく。詠里さんは、6歳の時にピアノを習い始め、人生のほとんどを音楽と共に生きてきたからこそ、ろう者の音楽の世界に対しての理解を進めやすかったと話す。 「子供の頃に通っていたピアノ教室には、音楽を理論的に学ぶ『ソルフェージュ』の授業がありました。具体的には、楽譜を目で見て、頭で考えながら読み解く時間です。私はソルフェージュが得意で、わりと早い段階から音楽は耳で聴くだけではなく、目で見て感じられるのだということを体感していた。だから、聴こえない人の世界にも音楽の概念があると知った時に、このソルフェージュの記憶と結びついて腑に落ちたのです」 曲調に合わせて変化する振動と相澤の手の動き。「まるでピアノが生きているみたいだった!!」と興奮して感想を伝える芙美子に、相澤は自分が紡ぎ出す音楽を芙美子が聴き、理解していたことに気づかされるのだった。
「甘んじている」のは健常者の方かもしれない…
「ろうの方に取材をさせてもらって感じたのが、ろう者は耳以外のあらゆる方法を使って情報を集めているということです。インターネットやSNSが発達した今はなおさらのことで、彼らは自ら情報を探しに行き、知り得たことは周囲と共有、確認したりしている。耳が聴こえない人は情報が入ってこないから呆然と立ち尽くしている、というイメージは大きな間違いなのです」 むしろ、聴者のほうが耳から勝手に情報が入ってくる状況に甘んじて、行動を起こさずにいるのかもしれない……。そう語る詠里さんだが、そもそもなぜろう者の話を描こう思ったのだろうか。 「10年ほど前に、ろうの高校球児を追ったドキュメンタリー番組を観たのがきっかけです。もともと高校野球が好きで作品でも描いてきたのですが、一般の高校の野球部で聴者と一緒に野球をするろう者がいることは、この時に初めて知りました」 一方で、日本語の他にドイツ語・中国語を話す父と、英語を話す母のもとで育った詠里さんは、「言語」にも強い興味を持っていた。同じモノやコトを表す言葉でも、言語によって由来や単語そのものが持つ意味は違っていたりする。その背景には言語を使う人の価値観や文化があると感じていた詠里さんは、ろうの高校球児が手話で話すシーンを見た時に「日本語とは別の構造の言語だ」と直感したという。 「日本語の頭のままで見ていたら、字幕なしでは何を言っているかさっぱりわからなかった。そして、わからないからこそ、もっと知りたいとわくわくしたのです。高校野球の世界と言語という観点から見た手話の世界。私が強く惹かれる2つの要素を融合させたいと思って描いた漫画が『僕らには僕らの言葉がある』でした」