「この現実を知って欲しい」能登を一歩離れると「普通」に暮らせる罪悪感 現地出身記者が思い返した美しい風景と〝語り部〟の言葉
▽奮闘する母校の生徒 受験を控えた生徒らの取材をすることになり、母校の七尾高校に行った。最初の数日間は学校自体が緊急の避難場所になったという。避難者が移動したタイミングで「少しでも落ちついて勉強できる場所を」と受験生に限り教室を開放していた。昔お世話になった樋上哲也先生は校長になっていて「できることからやるだけ」と繰り返した。 冷たい風が吹く中、懐かしい校舎を歩いていると、受験生が次々と自習室にやってきた。受験を前日に控えた3年生の村井康晟さん(18)は緊張の中取材に応じてくれ、「自宅が傾き、集中できる環境ではないので学校のサポートはありがたい」と笑った。 被災受験生の不安を取り上げた記事は1月10日の新聞に掲載された。受験シーズンに母校で踏ん張る先生と生徒たち。かつて私が日常を過ごした地で、被災しながら自分にできることを精いっぱいやっていた。私が今ここでできることは、現状を伝えることだ。身の引き締まる思いがした。自分の目で見て、現地で聞いた思いが、できるだけ多くの人に届いてほしいと思った。
▽美しい能登を忘れないで 友人の近況を確認しようとインスタグラムを見ていた時、「NOTO」という文字と写真が目に飛び込んだ。写っていたのは私が見てきた、かつての能登の風景。ゆかりのある写真家たちが輪島市や珠洲市など、各地で撮影した写真を使ってチャリティーカレンダーを作るという投稿だった。すぐに取材を試みた。 携わった写真家たちは口々に語る。 「美しい能登の風景を忘れてほしくない」 見附島(珠洲市)の上に輝く星々、ウッドサークル(環状木柱列)が立ち並ぶ縄文真脇遺跡(能登町)、活気ある輪島の朝市、白米千枚田(輪島市)…。 私にとっても忘れられない風景の数々だ。見附島の目の前にあるシーサイドキャンプ場でテントを張り、海に浮かぶ石をたどって島の近くまで行った。縄文真脇遺跡では「真脇ポーレポーレ」の温泉に入った後、ウッドサークルの真ん中に寝そべって飽きることなく星を見上げた。輪島の朝市で友人らと観光客の間を縫いながら端から端まで歩き、道の駅「千枚田ポケットパーク」で棚田の米を使った塩おにぎりをほおばった。