高知東生「弱みがバレたら男じゃねえ」ヤクザの親分の息子として育ち“認められるため”薬物へ…今語る“男らしさ”に縛られない生き直し【国際男性デー】
■弱みを知られたら終わり “できます”と言い続けることが“男らしさ”だった
高知:地元では「組の親分の息子」ということが、自分が思っている以上に知れわたっていた。そして俺が17歳の時にお袋が自死して。その時に(それまで)父親だと思っていた人が、本当の親父じゃないことが分かっちゃった。もう俺はぶっ壊れました。俺の周りの大人は誰1人、真実を言ってくれないのか、と。 親友にも「親父じゃなかったよ」というのが怖くて。東京で「成り上がる」と言って(故郷を)出てきたけど、本音を言えば、逃げたかったんですよ。 宇田川:高知県から上京。その後、考えが変わるタイミングはあったのでしょうか。 高知:弱みを知られたら終わり、負けたら終わりみたいな自分が出来上がっていきました。成り上がるためにどうするか。自分のなかでは、全ては勝負で、「0か100か」。もう常に戦闘モードで「やれません」「苦手です」なんて言ったらチャンスは回ってこないから、(ハッタリを)かましてでも「できます」と言い続けた。それが自分の「男らしさ」だった。
■“バカだった”あの時 でも今では「認めてあげることができた」
宇田川:裁判では、20歳のころから薬物を使っていたと話していましたね。 高知:東京へ出てきて、ディスコに顔を出すと、僕らとあまり年齢が変わらないのに、仕事はバリバリやって、いい車に乗って、理想の女性と豪快に遊んでいる人たちがいた。どうやって成功したのか、金を掴んだかの情報が欲しい、仲間になりたいと思って何度も足を運ぶうちに、そのVIP席に僕も入れるようになった。 そうしたらある日、そいつらが薬物をやっていた。「お前やったことあんのか?田舎者だけど」と言われ、経験はなかったけど、「あるに決まってんじゃん」と言いながら、見よう見まねで吸いました。タチが悪かったのは、「仲間として認められた」という喜びもあって、薬物の感覚と違った意味で、十分高揚感があった。その高揚感に比べて(薬物は大したことない)、「こんなんだったらいつでもやめられる」と思ってしまったんです。 それから、家族ができた。ストレスがあったが、「家族にも弱みがバレたら男じゃねえ」と思っていた。だから家族にばれないように、外でどうやって自分の問題を解消するか。薬物を、逃げ方の1つの手段として(使った)。今思ったら、本当にふざけた話だけれども、そうするしかなかったんですよね。誰にも言えないから。 宇田川:そして2016年に覚醒剤取締法違反などの疑いで逮捕されました。当時、「男だからこうしなきゃ」と、物事に悩んでいたんですか? 高知:今振り返ると、「男だから」と言っていた自分に対して、笑いっぱなしですよ。「バカか、俺」って。でも、当時はとにかくそうやって自分を鼓舞して、一生懸命戦っていたことも事実なんです。 苦しかったから、紛らわすために薬物を使った。結局、捕まったわけだから、良いわけないんですよ。でも今、捕まった後から自分が「生き直そう」と思って年月を過ごしている中で、当時の自分に「その時はお前、精一杯だったよな」って、認めてあげることができたんですよね。自分を認めてあげたからこそ「でも、これからも同じことはできない。だったら自分を変えようぜ」と切り替えられたんです。 ただ、これは自分1人じゃできなかった。執行猶予が終わるまで引きこもって辛抱しようと思ったけど、無理だよね。“根性論”と“男たるもの”では。俺は2年で白旗を揚げた。何度も「もう死んだ方がいいな」って思った。生きたかったけど、そこからどうやって生き直していいか分からなかった。