働きやすい工夫が詰まった“次世代オフィス”!社員がやる気になる大改革の舞台裏
湊はIT技術を使って今までにない検証も始めている。デスクに置いてあったのは、会社支給の携帯に反応し社員の位置情報を把握するセンサー。このセンサーをオフィスの300カ所に設置し、データをとっているのだ。 モニター上の家具についている色は稼働率を表し、最も使われていると赤になる。家具の横の、棒の色は生産性。仕事がはかどるかどうかを社員に聞き取りし、加えた。 これらを分析し、仕事がはかどる人気の場所やレイアウトを導き出す。 こうしてオフィスの生産性を高め、「オフィス3.0」と称してビジネス展開している。 「オフィスの究極の目的は生産性を上げること。利益を生むオフィスになるということです」(湊)
外資系IT企業からオフィス家具の老舗へ2年連続赤字から復活
この日は社員の家族が本社に集まっていた。始まったのは職場の見学会。なぜか昭和風の出し物もある。 家族のおもてなしに当たるのは、湊や役員たちだ。社員とざっくばらんに接している湊だが、社長になった2022年は様子がまったく違ったと言う。 「抵抗勢力ってすごい。『オフィス家具業界が初めてだから分からないかもしれないけど、この業界はこれでいいんです』と」(湊) 1970年、大阪府生まれの湊は生まれながらにして先天性の腎臓病を患い、医師から絶望的な宣告を受けていた。 「『おそらくダメだろう』と言われて救われた命だから、何か社会に貢献したいと」(湊) もらった命を世の中の役に立てようと猛勉強。東京大学から「NTT」に就職し、その後はアメリカのIT企業、現「オラクル」で働いた。 そこは「四半期ごとに結果を出さないといけない。9カ月連続で数字をミスすると退場」(湊)という世界。実力主義の中で日本法人の副社長まで上り詰めた。すると、ある日突然、ヘッドハンターから声がかかった。 「イトーキは一切、頭になかったです。『なんでだろう』と不思議でした」(湊)
イトーキは1890年、伊藤喜十郎が創業。その名前から「イトーキ」となった。初めは事務用品や輸入品を扱う雑貨店。日本で初めてホチキスを輸入し、椅子は木製が当たり前の時代にスチール家具に目をつけ販売した。人がやっていないことに挑戦する喜十郎の信条は「旺盛な開拓精神を持ち続けよう」だった。 しかし、時を経てイトーキの企業風土は様変わりする。ヒット商品が作れなくなり、2019年からは2年連続の赤字と、どん底状態に陥った。 当時を知る社員は「どこにもないような発想はなく、『他社にはあるけどイトーキにはないから用意してくれ』という意見が多かった」(福岡支店支店長・鈴木章)と言う。 開拓精神は姿を消し、他社の後追い商品ばかり作る会社になっていたのだ。 「価格を下げて値引きをして何とか他社より安く売る。でも腹の中では『ダメなんじゃないか』と思っていました」(鈴木) そんな八方塞がりの状態で白羽の矢を立てられたのが湊。ITを活用して現状を打開してほしいと声がかかった。 だが入社早々、工場を視察に行くと、目を疑うような光景があった。工員たちに個人パソコンは支給されておらず、7人で1台を使っていた。順番待ちの列ができることもあった。メールもろくに見ることができないので、生産スケジュールは朝礼で手渡しされた。 「『エッ、7人で1台の端末?』とびっくりしました。先輩もそうやってきたから、環境がおかしいと声を上げてはダメな文化だったと思うんです」(湊) 湊はすぐにタブレットを支給しようと提案。ところが現場から返ってきた答えは、「正直に言うと、要らないと思いました。工員一人一人がロッカーに入れて施錠して帰るとか、管理者の不安要素が増える」(滋賀第1製造部課長・竹林和弥)、「すごいお金を使って全員に渡して大丈夫なのか、使いこなして効果が出るのか。ものづくりを知らないのだろうと思った」(千葉製造部部長・村上敬哉) 今までのやり方でいい、門外漢が波風を立てるなというのが大方の意見だった。 「『今までこうやってきたからお前らもやれ』という世界なんです。これからは新しいことに挑戦していかないといけない。いかに前例踏襲主義という文化を壊していくか」(湊) 湊は反対の声を押し切り、工員一人一人にタブレットを支給し、生産スケジュールなどを全てデータで管理できるようにした。当時、反対の声を上げた社員は「もういいことしかないです。恥ずかしい限りです」(前出・竹林)と言う。