[麻布競馬場]友達がいなくても大丈夫 30歳を過ぎたら大人のクラブ活動
その後、僕は飲み会や取材の場で「最近こういうクラブに入ってまして」と話すようになった。そうなると、意外にも興味を示してくれる人は多くて、会員数は10名を突破する勢いだ。かといって、明確な会員リストがあるわけでもないし、加入したところで何か義務を負うわけでもない。誰かが「大変です、新しい南チロル料理店を発見しました」とメッセンジャーグループに投稿したのをきっかけに、都合のつく人や興味のある人が手を挙げて、下っ端の僕が人数をとりまとめてちゃちゃっとウェブ予約するだけの、極めてゆるいクラブだ。年明けには麻布十番の「ウブリアカーレ」で新年会の予定が入っているし、きっと来年も引き続きゆるく活動を続けることになるだろう。ゆるいクラブでは、ゆるい友人関係が形成されてゆき、このあいだは会員の一人が表参道で主催した餅つき大会にみんなで参加するという課外活動も行われた。 ●自分の代わりに人を誘ってくれるもの いざ入ってみて気付いたが、クラブというのは素晴らしい。何が素晴らしいかというと、人間がコンテンツにならずに済む点が素晴らしい。 友人関係というのは、つまり「あなたのことを好ましく思っている」というのが動機になるから、極端な話、「あなたのことが嫌いになったから友達をやめる」「あなたより優先したい予定があるから飲み会に行かない」みたいに捉えることも可能になってしまう。繊細な人からすれば、自分という人間そのものを否定されたような気分になるのだ。だから、断られることはどこか心に傷を残すし、世の中には「他人を誘うのが怖い」という声が結構多いのだろう。 その点、チロリアンクラブの動機はあくまでも「南チロル料理が気になる」というものであって、人間ではなく南チロル料理がコンテンツになる。誰かを誘って断られたとしても、「未知の郷土料理に食指が動かなかっただけだろう」と自分の心を守ることができる。 神経が図太い人からすれば「何を面倒なことを」と思うだろうが、令和というのは優しさの時代だ。平成のコミュニケーションは「イジり」「煽(あお)り耐性」に代表されるような、多数派の楽しみのために誰かが小さな痛みを負担せざるを得ない事例が多かった。令和のコミュニケーションはそうではないし、そうあってほしくないと思う。友達を作る、友達を誘う、といった「当たり前」の行為に潜む小さな痛みに対して敏感でありたいと思うし、それを避ける方法を何かしら発見して発信してゆくことが作家の大事な仕事だと信じている。 僕たちのクラブは南チロル料理をコンテンツにしたが、それはほかのものにも置き換え可能だ。落語を見に行くでもいいし、モルック(ナウなヤングの間で流行している、木製のピンを使ったアウトドアの遊びだ)をやるでもいい。繊細な自分の代わりに誰かを誘ってくれる魅力的なコンテンツを何か見つけて、ストレスなく友達を作る方法を来年はぜひ試してみてほしい。
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