大手がこぞって4000円台止まりも、もはや高級品に? 読売新聞の値上げに見る「新聞・5000円の壁」の苦悩と、本質的な課題
すでに制度疲労は表面化していて、2024年9月には毎日新聞が富山県内での配送を休止した。印刷費・輸送費の負担に加え、発行部数の減少を理由に挙げ、産経新聞もそれに追随した。 これは富山に限った話ではなく、おそらく氷山の一角だろう。県紙やブロック紙は地域密着メディアとして残っても、全国紙は配達網の縮小を進め、図らずも「すみ分け」が実現していくものと思われる。 そこで問題となるのが、「なぜ新聞各社は対策を打たなかったのか」だ。スマホやタブレットといった技術進化や、少子高齢化による社会構造の変化によって、少なくとも10年前には、紙の部数減と、デジタル化の波は予見できたはずだ。
表向きには「販売店を守るため」と、既存の収益モデルを維持してきたように見えるが、このままでは、かえって販売店を苦境に立たせてしまうことになる。配達網の縮小は、すなわち販売店の統廃合を意味する。廃業を余儀なくされる経営者も増えていくはずだ。 販売店にもメリットがある形での「新聞配達・折り込み以外の収益モデル」を構築できなかったのか。 例えば、その輸送力や土地勘を生かして、デリバリー事業を行っていれば、コロナ禍に急成長したかもしれない。自治体や医療機関と連携して、夕刊配達とセットで、孤独死対策の「見守り訪問サービス」を行うなんて横展開もできそうだ。実際、無料ながら中日新聞は、安否確認サービスを行っている。
営業力を武器にサービスを拡大している企業はたくさんある。「プロパンガス配達が本業で、水の宅配も始めて、ケーブルテレビの会社を買収して、宅食も始めて……」のように、「消費者との接点」を武器に多角化している会社はいくらでもある。 しかし現状、販売店を「地域のハブ」にした新規事業は、販売店の自発的な動きはあるものの、新聞社主導では展開されていない。 「届けているのは、新聞社ではなく販売店だから」と言ってしまえばそれまでだし、また新聞販売店の形態を考えると、多くのものを届ける難易度は高いかもしれない。それでも、「それ以外をも届ける」ことを新聞社の社員たちが少しでも考えていれば、今の苦しい状況も違ったのではと筆者には思えるのだ。