「大谷翔平に“負けた”と言わせた12歳」その後の人生「ああ、やられたなと」プロ野球を諦めた怪物の“卒業文集”…悔やむ中学時代、現在は双子の父に
仙台で営業…大坂の今
大坂は最終的に大学時代、3度リーグ優勝を経験し、2度ベストナインにも輝いた。大学卒業後は企業チームの鷺宮製作所で6年間プレーし、昨年からはクラブチームの東北マークスでなおも現役を続行中だ。 マークスで背番号55を付けている理由はこちらの読み通りだった。 「村上(宗隆)に似ているって言われて。『55でいいんじゃね? 』と」 確かにシルエットが似ていると賛同の意を示すと、こう照れた。 「太り過ぎです。今は(体重は)90キロありますから」 クラブチームは企業チームのように同じ職場の者同士で毎日のように練習するわけではない。各々別の仕事を持っていて、週末に集まって主に試合を行う。大坂も東北マークスに入団する際、仙台の建築関係の会社に転職し、現在は営業を担っている。 クラブチームは練習環境が不自由なだけでなく、レベルも企業チームよりは格段に落ちる。そこまでして野球を続ける理由はプロ野球への未練かとも想像していた。しかし大坂の中で、プロを目指す野球はとっくに終わっていた。
「ああ、やられたなと」卒業文集に書いた夢
大谷翔平の世代は今年で30歳になる。人生のひとつの節目といっていいだろう。プロ野球選手の平均引退年齢も、男女の平均初婚年齢もだいたいこのあたりなのだ。何かを手放す年齢であり、同時に何かを獲得する年齢とも言えるのかもしれない。 大坂も3年前に結婚し、今年の1月には双子の女の子を授かった。大坂は「かわいいですよ」と目を細める。そして、今後は野球よりも子どもと過ごす時間を優先させることもあるかもしれないと語った。 大坂はこちらの予想に反し、どこまでも屈託がなかった。大谷の異常な成長ぶりを見ていて絶望したことはないのかと問うとこう言って笑った。 「しないです、しないです。全然しないです」 しかし、「ただ……」と前置きしてからこう続けた。 「小学生のとき卒業文集に『誰もやったことのないことをやりたい』みたいなことを書いていたんです。メジャーに行って……みたいな。それを大谷が今、やってるので。ああ、やられたなというのはあります」 そう、大谷に夢をもらったという人たちもたくさんいるだろうが、大谷は多くの野球人の夢を奪った男でもあるのだ。 それでも大坂に大谷に会ってみたいかと問うと素直に「会いたいですね」と言った。 「聞いてみたいです、野球のことをいろいろと。どんな感覚で打っているのかとか、体を強くする上で何がいちばん大事なのかとか」 そして、こう付け加えた。 「たぶん、違う世界にいます」
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