池上彰「中東情勢を理解する第一歩」…エルサレムがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地になった理由
■「この岩からムハンマドが天に昇った」 次にイスラム教です。イエスが処刑されてから540年ほど後、アラビア半島のメッカで生まれたムハンマドは「神の声を聞いた」として「神の言葉」を広めます。これが『コーラン』にまとめられました。 さらにムハンマドの言行録が『ハディース(伝承)』としてまとめられます。 この『コーラン』と『ハディース』の中に、ムハンマドがメッカにいたある夜、天使に付き添われ、天馬に乗って「遠くの町」まで行き、そこから天に昇って神や預言者たちに会い、再び地上に戻ってきたという記述があります。この「遠い町」がエルサレムだと考えられるようになりました。 エルサレムの神殿が破壊された後、アブラハムが我が子イサクを横たえたとされる岩は、剥き出しのままになっていました。ムハンマドは、メッカからエルサレムまで空を飛んできて、この岩に降り立ち、ここから天に昇ったと考えられるようになります。 ■「岩のドーム」がイスラム教徒の聖地に ユダヤ教の神殿が破壊された後、ユダヤ人たちは追い出され、世界各地に離散。エルサレムにはイスラム教徒たちが住むようになります。イスラム教徒たちは、岩が風雨にさらされて崩れるのを恐れ、岩を覆うドームを建設。692年に完成し、ドームには金箔が貼られました。これが「岩のドーム」です。 ここは聖なる岩を保護する建物であり、祈りの対象ではありません。イスラム教徒たちがメッカの方角に向かって祈りを捧げるモスクは、岩のドームの近くに建設されました。それが「アル・アクサモスク(遠い町のモスク)」です。「遠い町」とはメッカから見たエルサレムの表現です。 その結果、ユダヤ教徒にとって聖なる場所である神殿の丘(神殿の跡)が、イスラム教徒にとっての聖地にもなっているのです。
■歴史が利用され、現在も争いが止まらない 現在は、神殿の丘はイスラム教徒が管理し、嘆きの壁はユダヤ人が管理しています。一般の観光客は時間を限って神殿の丘に上がることが認められていますが、ユダヤ人たちが上がると紛争になるため、境界はイスラム教徒とイスラエルのボーダーポリス(境界警察)によって共同警備され、ユダヤ人が立ち入らないようにしています。異なる宗教を信じる人たちが共存するための知恵です。 しかし時々、ユダヤ原理主義の政治家が神殿の丘に上がってお祈りをしようとするため、イスラム教徒との間で小競り合いが起きることがあります。 この3つの宗教の聖地がある地区がエルサレム旧市街(東エルサレム)です。同じ神様を信じているがゆえに聖地も同じなのです。 そして11世紀末からローマ教皇は、イスラム教徒によって占領されたエルサレムを取り戻すとして十字軍を組織してエルサレムを攻撃します。イスラム教徒にとっては、突然十字軍の名のもとにキリスト教徒の軍隊の攻撃を受けたという歴史の記憶が残ります。 これを利用して、イスラム過激派は、欧米諸国を「新しい十字軍」と決めつけてテロなどの攻撃をすることがあるのです。 ---------- 池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト 1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。6大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』『新聞は考える武器になる 池上流新聞の読み方』『池上彰のこれからの小学生に必要な教養』など著書多数。 ----------
ジャーナリスト 池上 彰