【いま行くべき究極のレストラン】お米の可能性をフレンチの技法で追求「mûrir」
とはいえ、卒業して就職したのは帝国ホテルという名門。鉄板焼「嘉門」やフランス料理「レ・セゾン」と、錚々たる部門で修業をさせてもらい、嘉門では2年目からカウンターに立った。 「恵まれていたと思いますが、ホテルは分業制なのでゼロからすべてを作ることができないんですね。修業時代に読んだ雑誌の記事で大自然のオーベルジュにあこがれ、自分で野菜から作って料理をする店をやりたいと思ったのです」 家族からは当初猛反対されたが、渡辺さんの信念は揺るがず、5年ほどの東京生活ののちに帰郷。戻って畑から始めたが、最初は農業の厳しさを思い知らされたという。 「そんな時に駅前の洋風居酒屋のオーナーから声をかけていただき、5年ほど料理長を務めました。同時期に大規模火災があり、再生の象徴として『駅北広場キターレ』がオープンしたのですが、そこにキッチンスペースが出来たんです。その場所を間借りし、2020年6月から『つなぐキッチン レジョン』を2年ほどやっていました」
御存知のように2020年6月といえばコロナ禍まっただ中で外出もままならない時期。レジョンはランチ2500円、ディナー4400円からだったが、糸魚川では外食に5000円以上を出すことはめったにないという人が多いため、当初はかなり苦戦した。そんな時に転機となったのが日本最大級、35歳以下の若手料理人コンペティション「RED U35」でのBROZE EGG受賞だった。 「地方にいるからこそ使える食材を前面に出した料理を評価していただき、自信になりましたし、県内の料理人の横のつながりが出来たのが励みになりました」 ただ、間借りキッチンでは限界がある。どこかで独立したいという考えが「mûrir」につながった。実は「mûrir」があるのは米や果樹を育てている農園「清耕園ファーム」の中なのだが、渡辺さんの奥様が清耕園ファームの娘だった。社長である義父が、ちょうど老朽化したハウスをどうしようかと悩んでいたときにレストランを作るプロジェクトが立ち上がったのである。