「さすが怪物ですね」テレビ解説も驚愕…無名の新興校“100年に1人の逸材”が見せた伝説の区間新…26年前、全国高校駅伝“奇跡の初出場4位”ウラ話
2区佐藤が9人抜きで3位に…「こんな前で来るの?」
「え、こんな前で来るの? テレビ、映れるなぁ」 3区を任されていた松崎は、突然スタッフに呼ばれて中継所に向かいながら、そんなことを考えていた。 当時はまだ気軽に携帯電話で連絡がとれない時代である。中継所でもテレビ中継は流れていない。松崎としても自チームが果たして何位を走っているのかは、実際に自分の目に映るまで分からなかったのだ。 この時、佐久長聖はエース区間の1区10kmを走った宮入一海が12位で滑り出した。 すると2区3kmに起用された佐藤が1kmを2分28秒という、テレビ解説も思わず「怪物ですね」と驚愕するほどのとてつもないペースでツッコむと、26年後の今も残る区間新記録の激走で、9人抜きの3位でタスキを運んできたのだ。 「驚きはしましたけど、緊張はなかったですね。『勝たなきゃいけない』『結果を出さないといけない』となると緊張するんでしょうけど、当時は本当にチャレンジャーだったので。とにかく前を追おうと。それしか考えていなかったです」 奇しくも松崎の目の前でタスキを繋いだのは、昨日の開会式で羨望の眼差しを向けた兵庫・西脇工業の藤原正和(現中大監督)だった。その西脇工業と、1区に留学生を起用して先行する仙台育英(宮城)の背中を追って、準エース区間の3区8kmを区間8位で走り切った松崎は、3位をキープしたままタスキを4区の高見澤勝へと渡した。 レースの流れを追うと、その高見澤が東農大二(群馬)に抜かれ1つ順位を落としたものの、5区を走った矢嶋信が抜き返して再び3位に。6区の小出徹も順位を維持して、そのまま3位でアンカーへとタスキが渡っていた。 走り終えた後、松崎がクールダウンを終えてゴールとなる西京極陸上競技場に向かうバスに乗り込むと、バスに設置されたテレビ画面の中では、ちょうどアンカーの小嶋卓也が4人からなる3位集団の2番手で走っていた。それを見た松崎がとっさに思ったのは「あとひとり抜けばメダルだ」ということだったという。 「もともと自分たちになんか全然、期待していなかったんですけどね。不思議なもので、いざ良いところを走っているのを見ると欲が出るんです(笑)」 ただ、自分のチームが全国で上位を走っているという喜びや、これまでの苦労が報われたというような達成感は全くなかったという。むしろ胸の内を占めていたのは「え、こんなに前にいていいの?」という困惑だった。
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