世界的数学者も生み出した、60年以上続く学力コンテストの凄み
解答の応募用紙には通信欄があり、そこに近況を書いてくる人もいる。「学校の宿題が多くてつらい」と書いてくると、「お疲れさま。大変だね」とひとこと添えて返す。そのちょっとした寄り添いが高校生を励まし、さらに難問に向かう力を奮い立たせる。メールではない、生の書き文字だけが織りなせる世界である。 そうすると面白い現象が起きてくる。学コンに応募していた高校生が大学に入学して、学コンマンのアルバイトをして、そのまま編集部に入るという数学を軸にした生態系が生まれるのだ。実は横戸さんも、山崎さんもそのひとり。横戸さんは「浪人生時代に学力コンテストに応募するようになって、大学に入ってすぐ学コンマンに。そのまま編集部に居着いちゃいました」と笑う。
「学コン」から数学者の道に
生態系はゆりかごでもある。学力コンテストで数学の楽しさに目覚め、その後数学者の道を選んだ人も多い。京都大学高等研究院の院長/特別教授を務める森重文さん(69)もそのひとりだ。 森さんは1990年に「数学界のノーベル賞」と言われるフィールズ賞を受賞。同賞は4年に1度しか受賞機会がなく、原則として40歳までの国際的に優れた業績を上げた数学者に贈られる。日本での受賞は森さんを含めて3人しかいない。さらに2015年から4年間、国際数学連合の総裁を務め、また米国科学アカデミー外国人会員に選出されるなど、世界各国から顕彰されている。森さんを「日本を代表する数学者のひとり」というのは、かなり控えめな表現になるだろう。
小学校高学年のころの進学塾からの帰り道、渡されたケーキの重みが森少年に自分の才能の自覚を促した。 「私は人見知りが激しくて、成績もパッとせずなんにも自信が持てない子どもだったんです。それがある日、塾で先生が『この問題が解けた人にはケーキをあげるよ』と出した算数の問題を私ひとりだけ解けた。それで自分は算数(数学)の能力はあるのかもしれない、と思うようになったんです」 「学コン」に毎月挑戦するようになったのは高校2年生のとき。そのころの学コンの問題について印象を尋ねると、「今でも覚えている問題があるんですよ。書きましょうか」と私のノートにすらすら問題文を書き始めた。「x>0を無理数として……等差数列についての問題なんですけれどね……」。ペンを走らせる横顔がどこか楽しそうだ。しかし、50年以上前の数学の問題を覚えている人がいったい何人いるだろうか。問題文を書き終えると、指でとんとんとそれを押さえながら懐かしそうに話す。