今日J2再開&J3開幕…村井チェアマンが抱く感謝の思いとは?
ファン・サポーターのためにも「リモートマッチ」と命名された無観客での開催は最後の手段として位置づけてきた。可能ならば回避したいが、サッカー界だけが独断専行で動くわけにもいかない。 政府の方針に照らし合わせながら再開および開幕後の2節を「リモートマッチ」としたのも、まさに「走りながら考える」を実践するなかでの苦渋の決断だった。 Jリーグとしては、当初、J1リーグも27日にいっせいに再開させるプランをもっていた。すべての都道府県で緊急事態宣言が解除されたのが5月25日。練習再開後の準備期間を考えても可能ではないかと、各クラブの代表取締役や理事長で構成される実行委員会の場で提案したことがある。 しかし、最後まで緊急事態宣言が解除されなかった首都圏にJ1クラブが集中していた関係もあって意見が二分する状況に直面した。ここでトップダウンの形で結論づけるのではなく、村井チェアマンが「地域の状況をひとつひとつ聞きながら、最大公約数を取りつつ議論を絞り込んでいきました」と説明する段階を踏みながら、最終的には分離開催の形に行き着いた。 今シーズン限定となる「降格なし」や「賞金の50%カット」などに加えて、トータルで71ページにおよぶ「新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン」は、すべて「走りながら考える」なかで生まれた施策だ。 走ってきたなかで最も苦しかった時期はいつなのか。村井チェアマンは「毎日がどん底というか、本当に厳しかったですね」と苦笑いを浮かべながら、4月上旬だったと明かしている。
「緊急事態宣言が発令されるとなって、遠くで起こっていたことが日増しに自分事と化していった時期でした。日本サッカー協会の田嶋会長、選手で言えば酒井高徳さんら身近で新型コロナウイルスの感染者が出て、まさに収束するめどが見えないというか、いったいどこまでいくのだろう、と本当に不安な思いでした。もちろん国民全体に共通する気持ちであり、チェアマンに限った話ではないんですけど」 不安に駆られながら再開のタイミングを模索していたなかで、斉藤惇コミッショナーをはじめとする日本野球機構(NPB)へ抱く感謝の思いも村井チェアマンを支えていた。 公式戦を中断させてすぐに、村井チェアマンはNPBとの共同で新型コロナウイルス対策連絡会議を設立。東北医科薬科大学の賀来満夫特任教授(感染制御学)を座長とする感染症の専門家チームからアドバイスを得ながら、3月上旬から今月22日まで、10回にわたる会議を開催してきた。 「Jリーグとプロ野球は距離があるのではないかと、多くの方々が長く考えていたかもしれませんが、私はかけがえのない盟友だと位置づけてきました。プロ野球界の存在がなければ、Jリーグは(新型コロナウイルスに対する)ここまでの知見を獲得できなかったと思っています。スポーツに関係するすべてのみなさまに本当にお世話になっている、という感謝の気持ちが掛け値なく率直なところであり、だからこそこれから恩返しをしていかなければいけないと考えています」 政府の指針に沿う形で、ひと足早く6月19日開幕したプロ野球とともに、来月10日からは5000人を、8月1日からは収容人員の50%を上限として観客を動員していく。しかし、新型コロナウイルス感染が終息したわけではなく、不測の事態も覚悟しなければならないと村井チェアマンは言う。 「ここから先は第2波や第3波、もしくはさまざまな自然災害といったものと同時に(警戒しながら)進めていくことになります。なので、全体の枠組みがどのように軌道修正されるのかは、私自身もまったく想像できない状況にあると思っています」 来月6日には、新型コロナウイルス対策連絡会議の第11回会議も開催される。2月下旬から貫いてきた「走りながら考える」は「ウィズ・コロナ」が求められるこれからも、プロスポーツの大先輩であるNPBへ抱き続ける感謝の思いとともに、村井チェアマンを前へ突き進ませる両輪の役割を果たしていく。 (文責・藤江直人/スポーツライター)