ルイ・ヴィトンでジュエリーデザイナーを務める名和光道さんに聞く、欧州有名メゾンでキャリアを築くまで
「ずっとフランスの会社でやってきたので、少し環境を変えたかったんです。結婚して子どもも生まれたので、英語環境で育てたいということもありロンドンに移りました」 しかしロンドンでの生活は2年半で終えることになった。 「グラフはジュエラーというよりは宝石商で、デザインとしては抑えめ。創造性はそこまで求められず、前みたいにデザインしたいという気持ちが次第に高まりました」 その時に、ちょうど誘いが来たのがルイ・ヴィトンだった。当時のルイ・ヴィトンはジュエリー部門により力を入れ始めた時期。人材を各方面から集めていた。 「それまではシニアデザイナーとして仕事をしていたのですが、ルイ・ヴィトンからのオファーはマネージャーというポジションでした。ハイジュエリーに関してはロレンツ・バウマーのときに携わったこともありますが、以前と比べて次元の違うことをやっているなと感じて、興味も湧きました」 2022年に名和さんは再びパリに戻ってくることになった。 「社内はとてもスピーディーです。ハイジュエリー部門は成長痛がありつつも、どんどん前に進んでいるという雰囲気。デザインの観点では、ヴァンクリーフ&アーペルのような豊富なアーカイブを持たない分、自分たちがこれからのスタイルを作っていけます。ファッションとつなげてデザインを考えるため、ヴァンクリーフ&アーペルより求められるデザインはコンテンポラリー。ジュエリーに特化したブランドではないため、社内における他分野との交流があり、いろいろな刺激を受けられます」
仕事でもっとも大切なのは「人」
これまでにヨーロッパの4つのジュエリーメゾンで働いてきた名和さん。そこで感じたことは歴史的に築かれてきた装飾文化だ。 「ジュエラーは石を売る商売なので、基本的には石をどれだけ綺麗に見せて販売するかがビジネスなんですが、特にフランスではそれだけではなく、石の周りの装飾をどれだけこだわってやるかにも価値を置いています。それが脈々と受け継がれている感じ。各メゾンも自分たちのスタイルと質を持って、その中でぶれずに、新しいものを作っています。技術的にも毎回障害と挑戦ばかりです」 さぞかし大変なことも多くあっただろうと「今まで苦労した点は?」と尋ねると「いろいろあったと思うんですが、終わると忘れちゃうんで……」と名和さんは笑った。それならと質問を変えて「仕事でもっとも大切にしている点は?」と問いかけたら「人です」と返ってきた。 「人間関係をすごく大事にしています。毎日一緒に働いている人が好きじゃなかったら、ちょっと辛いですよね。小さなことですが個人的にはすごく大きくて。私自身もなるべく嫌な奴にならないでおこうと思っています(笑)。あと、かつての同僚がその後に友人になって、たまに近況報告しあったりできるのもうれしいです」 名和さんと話し始めて1時間。外を見ると、通りのにぎわいも増していた。レコーダーを切って、取材のお礼を述べて別れようとすると、名和さんが「今度は飲みに行きたいですね」と笑顔で誘ってくれた。「もちろん」と誘いに応じながら、目の前にあるルイ・ヴィトン本社に入っていく名和さんの後ろ姿を見送った。
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