ルイ・ヴィトンでジュエリーデザイナーを務める名和光道さんに聞く、欧州有名メゾンでキャリアを築くまで
ロレンツでの研鑽がヴァンクリーフにつながる
最初の3ヶ月は研修期間。その時期に、ロレンツ・バウマーがルイ・ヴィトンのジュエリー部門のアーティスティック・ディレクターに就任した。名和さんにも、チャームを描くなど、ルイ・ヴィトンに関する小さなプロジェクトが与えられた。名和さんのデザインがいくつか採用されると、研修後にロレンツ・バウマーから正式雇用が提示された。 「夢みたいな感覚でした。当時、パリ市内の屋根裏部屋に住んでいたんですが、そこからヴァンドーム広場にあるスタジオに通い、ジュエリーの世界でルイ・ヴィトンのデザインに携わっているんです」 ロレンツ・バウマーでの仕事にも慣れた2012年に再び転機が訪れる。ヴァンクリーフ&アーペルから働かないかと声がかかったのだ。 「即決でした。それこそ最初に買った本がヴァンクリーフ&アーペルでしたし、同ブランドのスタイルも好きでした」 32歳、ジュエリーデザイナーを志してから7年、ついにフランスのトップ・ジュエリーブランドでデザイナーの職に就いた。
ロンドンを経てパリのルイ・ヴィトンへ
ヴァンクリーフ&アーペルで働くようになってから、名和さんはフランスでのジュエリーの伝統をより肌で感じた。 「ロレンツ・バウマーのスタジオは小さくて、デザインの専門チームのような雰囲気でしたが、ヴァンクリーフ&アーペルは会社自体の構造が大きくて歴史もあります。デザインのアーカイブも多いですし、話している内容、求めるデザイン、スピードなど何もかもが段違いでした」 特に印象に残っている言葉があるという。 「社内で『セ・ビアン(いいね)』や『セ・パ・マル(悪くないね)』といった表現を使っていたら、『自分たちはそういうものを作っているのではない。エクセレントなものを作ってるから、そういう言葉は使うな』と注意されたんです」 オリジナルのものを作ることにこだわっていて、少しでも何かに似ていることも許されなかったそうだ。 「自分のデザインが売れたかどうかも教えてもらえませんし、それがデザイナーの評価にもつながりません。もしそれを伝えれば、デザイナーは売れるデザインしか描かなくなってしまうからです。とても守られている感じがしました」 約7年にわたってヴァンクリーフ&アーペルに勤めていたが、2019年にフランスからイギリスに移る決心をした。ジュエリーブランドであるグラフに転職したからだ。
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