土浦の割烹・霞月楼でつながる交友関係 英国軍人、山本五十六ら ツェッペリン伯爵号飛来 いばらきの昭和100年(中)
■開戦直前の便り
霞月楼と霞ケ浦航空隊について語るうえで、忘れてはならないのが連合艦隊司令長官だった山本五十六その人だ。
大正13(1924)年、副長として航空隊に着任。酒はたしなまなかったが、隊員たちの間で「KG」の隠語で親しまれた霞月楼へ足しげく通い、ピンボールやブリッジなどに興じた。
現在の「土浦全国花火競技大会」は、航空隊の訓練での殉職者慰霊などを目的として大正14年に始まったが、山本が故郷の新潟県長岡で行われていた花火大会をヒントに発案したともいわれる。
親身な世話を受けた霞月楼の堀越正雄、満寿子夫妻へ山本から手紙が届いたのは昭和16年12月。「最後の御奉公に精進致居候」と間近に迫った真珠湾攻撃への決意をしたためていた。
山本は昭和18年4月、南方のブーゲンビル島上空で乗機が撃墜され、戦死。正雄、満寿子とも同年1月に相次いで死去しており、3人は空の上で再会することになった。(文中敬称略、三浦馨)