山口瞳、吉行淳之介、筒井康隆…休刊を発表「夕刊フジ」が文芸史に残した名物連載「100回エッセイ」を振り返る
「オレンジ色のニクイ奴」
日本初の駅売りタブロイド新聞「夕刊フジ」が、この1月31日発行(2月1日付)をもって、休刊する。1969年2月25日発行(26日付)以来、55年余にわたり、「オレンジ色のニクイ奴」のコピーと共に、サラリーマンの“帰宅の友”だった新聞である。 【写真を見る】栄えある第1回「日本腰巻文学大賞」受賞作がこちら
発行元である、産経新聞社の告知によれば〈デジタル端末の普及、コロナ禍に伴う帰宅時等の購読機会の減少、新聞用紙をはじめとする原材料費、輸送コストの上昇など、取り巻く環境は年々厳しさを増しました。(略)創刊 55周年の節目に、夕刊紙としての一定の役割を終えた、という判断に至りました。〉(2024年10月1日)とのことだ。 創刊号の一面を飾ったのは、当時参議院議員だった、石原慎太郎にまつわるスクープだった(当時36歳)。見出しは「慎太郎新党躍り出る/300万票 衆院へ挑戦/解散待つ同志11人」。前年の参議院選挙に立候補し、史上最高の301万票で初当選、まさに“時のひと”だった石原慎太郎が、次の総選挙で、同志11人を立候補させる――のちの青嵐会結成の原点を、夕刊フジがすっぱ抜いたのだ。 以後、大新聞とはひと味ちがった本音の切り口で、“夕刊紙時代”を確立させた。毎夕、帰宅時の電車内では、「夕刊フジ」を片手に吊革につかまるサラリーマンの姿が定番となったものだ。いささかの感慨にふけってしまう中高年も多いことだろう。 ただし、ギャンブルや色っぽい記事も堂々とあつかう型破りの紙面構成だったせいもあり、「家に持って帰れない」とか「女性が眉をひそめるオヤジ新聞」などの声もあった。 「たしかに、そういう面もありました。しかし『夕刊フジ』は、日本の文芸出版の世界に、大きな足跡を残していることを、ぜひ忘れないでほしいです」 と目を細めて語るのは、新潮社で長年編集をつとめた、60代後半のOBである。 「『夕刊フジ』には、通称“100回エッセイ”と呼ばれる欄があり、ここから、売れっ子作家たちによる名エッセイが、続々と生まれたのです。その多くを、新潮社で単行本化・文庫化させていただきました。しかし、毎日発行される夕刊紙で、ぶっつづけで100回のエッセイを連載することは、並大抵の苦労ではありません。よくぞ、こんな企画を実現させたものだと、いまでも頭が下がります」 この「夕刊フジ」の“100回エッセイ”(実際は百数回が多い)の単行本化をめぐって、出版社が争奪戦を繰り広げたこともあったという。いったい、どんな作品が生まれてきたのだろうか。また、どんな苦労があったのだろうか。