山口瞳、吉行淳之介、筒井康隆…休刊を発表「夕刊フジ」が文芸史に残した名物連載「100回エッセイ」を振り返る
産経OBの大物作家が登場しなかったワケ
それは、司馬遼太郎である。なぜなら司馬は、産経新聞のOBで、大阪文化部長までつとめている。『竜馬がゆく』『坂の上の雲』も産経新聞連載だ。しかも「夕刊フジ」を生んだ編集者たちとは、「一つカマのメシを食った仲」だった(「夕刊フジの挑戦」より)。それだけに、歴史エッセイなどを書いていてもよさそうな気がする。 実はこれについては、のちに「夕刊フジ」社長をつとめる山路昭平記者が交渉にあたっており、〈ほとんどOKも出ていた〉。これについて、「夕刊フジ」文芸部長をつとめた平野光男が、こう証言している。 〈最終的な条件がむずかしくて実現しなかったのだという。それは、資料を集めたり、司馬の代行取材ができるような記者を常時二人ほど(山路によると三、四人)つけてほしいということだった。/「やる以上は、本格的な連載にしたいというのが司馬さんの考えだったようだが、そうでなくても人手不足の夕刊フジではとても無理だったのであきらめた」と平野。〉(「夕刊フジの挑戦」より) もし、司馬遼太郎の連載が「夕刊フジ」で実現していたら、どんな作品が生まれていただろうか。 なお最後に、「夕刊フジ」の“100回エッセイ”から、「文学賞」受賞作が生まれていることをご報告しておこう。 それは、最初にご紹介した、山口瞳「酒呑みの自己弁護」(新潮社刊)である。1973年、雑誌「面白半分」が、本に巻かれたオビのコピーに対して与える賞をスタートさせた。その記念すべき第1回を、受賞したのである。 〈(略)今、哀惜の心で/思い出の酒を語る/山口瞳、四十五歳。(略)/月曜 一日/会社へ行って/火曜日 夜更けに/九連宝燈(略)/月々火水木金々/酒を呑みます/サケなくて/何で己れが 桜かな〉 コピー作者は、新潮社の名編集者、池田雅延さん。そして賞の名称は「日本腰巻文学大賞」! いうまでもなく「腰巻」とは、本のオビのことである。「夕刊フジ」発の作品に、これ以上ふさわしい名称の「文学賞」があるだろうか。 今、哀惜の心で――「夕刊フジ」よ、長い間、ありがとう! (一部敬称略) 森重良太(もりしげ・りょうた) 1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。 デイリー新潮編集部
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