山口瞳、吉行淳之介、筒井康隆…休刊を発表「夕刊フジ」が文芸史に残した名物連載「100回エッセイ」を振り返る
作家たちも苦闘の日々
それにしても、毎日毎日、ちがった内容で、しかも1回ごとにまとまりをつける読み切りエッセイを、100回もつづけることは、売れっ子作家たちにとっても苦闘の日々だったようだ。 現在でも新潮文庫で読まれつづけている、筒井康隆「狂気の沙汰も金次第」も“100回エッセイ”である(1973年連載初出)。その最後で、こう書いている。 〈「えらいことだ。これは長距離マラソンだ」そう悟ったのが三十回あたりでした。それから息を切らしながら、えんえんと毎日書いてきました。後半、何を書こうかと考えることに四、五時間を費やすようになりました。(略)事実この連載中、ぼくは短篇小説を二本しか書いていません。〉 吉行淳之介は「贋食物誌」の「あとがき」で、〈要するに、余裕たっぷりに連載をつづけたつもりであったが、終ったとたんにドッと疲れが出た。この種の連載はもうできないだろう、とおもうくらい疲れていた。〉とまで綴った。 小林信彦の「笑学百科」(新潮文庫)の最終回の文末は〈それにしても、疲れました。ぼくが疲れたのだから、ずっと読みつづけて下さった読者(がいるとして、の話だが)はお疲れになっただろうと思う。お疲れさまでした。〉と綴られていた(連載初出1981年)。 田辺聖子にいたっては、「ラーメン煮えたもご存じない」(新潮文庫)の最終回で、〈それでは みなさま!! /さよなーら/ごきげんよう!! /チャカチャカスチャラカ/テケテンテンノテン/(受け囃子のつもりである)〉と、ほとんどヤケクソ気味に盛り上がっている(連載初出1976年。連載時タイトルは「それいけおせいさん」)。 特にぼやくこともなく、冷静に終えたのは、新潮文庫収録にかぎっていえば、丸谷才一「男のポケット」(連載初出1975年)と、藤本義一「サイカクがやってきた」(連載初出1977年)くらいであった。 もちろん、“100回エッセイ”は、新潮社以外での単行本化も多い。井上ひさし「巷談辞典」や五木寛之「重箱の隅」は文藝春秋で、つかこうへい「つかへい犯科帳」や中島梓「にんげん動物園」は角川書店で、林真理子「チャンネルの5番」や遠藤周作「ぐうたら人間学 狐狸庵閑話」は講談社で、各々単行本化された。 かように「夕刊フジ」は、続々と“文化”を生んでいたのである。 ところで、これほど多くの人気作家を起用してきた「夕刊フジ」なのだから、本来ならば登場してもよさそうなのに、結局、一度も名前を見なかった作家がいる。