二十歳のとき、何をしていたか?/神田愛花 アナウンサーになりたくて、 眼力で勝ち取ったNHKへの道。 無知がゆえ立ち向かえた新人時代。
「でも、用意されたセリフを面白いと思えなかったんです。なんで思ったことを言っちゃいけないんだろうって。それでバイトを辞めました。作られた世界より、取材をして、事実を伝えるニュースが読みたいと思ったんです。そのほうが腑に落ちるなと」
アナウンサー専門学校の夏期講習にも行ったが、「初日に考え方の違いで先生と喧嘩しちゃって」と即終了。それでも決戦の日は訪れ、民放各局から面接がスタート。多くの学生と同じく神田さんも全局受け続けたが、なかなか結果が出ない。最後に待ち受けていたのがNHKだったが、実はNHKの番組をほとんど見ていなかったという。
「好きな番組は? と聞かれて、『『プロジェクトX』です!』って答えました。大人気の、誰でも知ってる番組ですよね。だから面接官に『敵が何を作ってるか調べてから来ないとダメだよ』って注意されて、ああもうダメだと。でも受かったんです。入社後、面接官だった方に『どうして通ったんでしょうか?』と聞いたら、『アナウンサーになりたいんだっていう眼力が人一倍強かった』って。ここで採ってもらえなかったら夢がもう終わるって、必死だったんでしょうね。アナウンサーになるって、学力とか言葉の力じゃなくて、目力だったんだって気づきました」
入社後、新入社員は全国各地にある支局に赴任をする。神田さんも4年間、福岡の地で勤務をした。慣れない土地と、初めての一人暮らし。肌が荒れ、「あんな子をテレビに出すなんて」とクレームが来たことも。
「幅広い年齢層の方がご覧になっていますからね。実力不足で、納得いくクオリティのものを出せない悔しさがありました。でも親友ができて、その子の実家に遊びに行ったりするうち、徐々に吹き出物も消えて。それに福岡の皆さんは成長を見守ってくださったんです。今も仕事で福岡に行くと『おかえり』って言ってくださるんですよ」
話を聞いていると、二十歳の頃の神田さんは、常に自家発電で動いている。誰かと比べたり、くよくよしたりしていない。