過去に誰もやったことがない挑戦を選ぶ時、必ずそれを誤解し否定してくる人たちがいる 西野亮廣が「なぜ僕が、ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』に命をかけているか」を語る
こういう局面で他の人を例えに使うのは卑怯だと思うので、自分の話をすると… 「クラウドファンディングをしている西野は詐欺師だ」と石を投げるなら、なぜ、クラウドファンディングをしている他の人達には石を投げない? 「オンラインサロンをしている西野は宗教だ」と石を投げるなら、なぜ、オンラインサロンをしている何百何千のタレント・インフルエンサーには石を投げない? 「いつまでプペルをこすっとんねん」と石を投げるなら、「マリオブラザーズ」から始まり、「マリオゴルフ」「マリオテニス」「マリオカート」果ては映画まで40年以上でこすり続けているマリオに、ミッキーマウスに、ポケモンに、ドラゴンボールに石を投げない? エッフェル塔の個展の設営ができる権に対して「なんで働く側がお金を払わなきゃいけないんだ」と石を投げるなら、じゃあ、なぜ、BBQやキャンプやプラモデルやイチゴ狩りやキッザニアには石を投げない? 西野のVIP戦略に「銭ゲバだ!」と石を投げるなら、なぜ、ファーストクラスやビジネスクラスを提供している航空会社に石を投げない? 石を投げる原因がそれならば、そのアプローチをした人やチームに等しく石を投げるハズでしょう? 以前、ひろゆきサンが「イジメられる側に原因があるのではなくて、イジメる側がイジメる理由を作っているだけ。仮想敵を作ることで仲間を作るため」という話をされていましたが、過去に僕が浴びてきた数々の暴力はいつだってそれでした。 ここで僕が「誤解されるようなことをしてしまってすみませんでした」と頭を下げてしまったら、今現在、当時の僕のように新しい提案をして、理不尽に叩かれて、それでも挑戦を続けている子達を否定することになってしまうので、当たり前ですが、頭を下げるつもりは一切ありません。 僕の活動の目的は、人を殴ることでしか集団になれない連中には到底推し量ることができない痛みを今現在浴びている挑戦者に、自分の作品や自分の生き方でもって「大丈夫。お前は間違ってないよ」と声をかけることです。 …長くなりましたが、実はここまでが今日の「まえおき」でして、今日は別に僕の恨み辛みを吐き出すことが目的ではありません。 以上のことを踏まえて、「何故、僕が今回のプロジェクトに命をかけているのか?」という話をしたくて、この時間を設けました。