三島由紀夫を自決に追い込んだ「完璧主義」という異常心理
それでも、三島は世界的に評価されており、40歳の年から、毎年ノーベル賞候補に名前があがっていた。ところが、3年後、ノーベル賞を受賞したのは三島ではなく、川端康成であった。自決の1年前である。三島自身、「このつぎ日本人が貰うとしたら、俺ではなく大江だよ」と予言したという。 すでに三島の関心は、自分の人生を、いかに劇的に締めくくるかに向けられていたようだ。ある意味、40歳を過ぎてからの4年ほどの歳月は、完璧な「死の舞台」を整えるために費やされたとも言える。 三島らしく、最後の作品『豊饒の海』の最終部「天人五衰」の最終章の原稿を、自決の当日に、編集者に渡るように段取りしていた。最期まで締め切りを守り、予定したシナリオ通りに人生の幕も下ろしたのである。すべてをスケジュール通りに管理したという点で、三島の人生は、例を見ないほど完璧な生き様だったと言えるだろう。 だが、それは、完璧を追求することが、あまり幸福な生とは言えないことを、われわれに教えてくれる最たる例でもある。