妊娠14週「赤ちゃんの胃が心臓の隣ぐらいにある」と判明。重大な疾患と手さぐりで向き合う日々【先天性横隔膜ヘルニア体験談・医師監修】
「たまには休んでいいんだよ」と声をかけられつつ・・・
――退院後はどのような生活を送りましたか? 寺川 生後2日からPICU(小児集中治療室)、生後18日目からNICU(新生児集中治療室)、生後23日目から外科病棟に約3カ月半入院しました。主治医の先生が毎日病棟に来てくれて、晴貴と私と家族のことを気づかってくれました。私は通常どおり、産後5日目に後ろ髪をひかれる思いで退院しました。 退院後は毎日晴貴に会いに行きました。私の住んでいる自治体は、育休中も保育園が利用できます。だから長男を保育園に預け、15時くらいまで二男のいる大阪母子医療センターに行っていました。 当時はまったく先が見えず、搾乳室やカーテンの中でよく泣いていました。その様子を見て看護師さんが心配し「毎日体調を整えて面会に来てくれるのは、簡単そうで実はすごく大変なこと。晴貴くんのこともだけど、みんなお母さんを心配しているよ。たまには休んでもいいんだよ」と言ってくれたこともあります。
なかなか口から飲んでくれず、一喜一憂する毎日
――生まれてすぐ、鼻からチューブを入れていたとのことですが、授乳はどうしていましたか? 寺川 最初は綿棒に母乳をつけ、口のなかを湿らせる程度でした。手術後、胃まで届くチューブで母乳の注入を始めました。同時に口でも飲めるように、少しずつ練習も始めました。ところが、本当に飲まなくて…。飲ませようとすると、ギャン泣きしてそっくり返って嫌がるんです。そのことにすごく悩み、毎日晴貴と一緒に泣いていました。そのころは、最初に直接おっぱいをあげ、次に哺乳びんで母乳を飲ませ、それでも飲まなかった分をチューブから注入するという3段階で練習していました。 私はとても神経質になっていました。毎日授乳前後に晴貴の体重を測定し、どれだけ飲めているかチェックしていたんですが、毎回ノートに記録して「まったく飲めてない…。」と落ち込んでいました。 横隔膜ヘルニアのお子さんは、なかなか哺乳ができない子が一定数いるようです。人工呼吸器をつけている期間が長く、口に何かが触れるだけで嫌がってしまう場合があるようです。 生後3カ月半で退院したときは「哺乳びんで10mL飲めたらすごい」という感じでした。自宅でも口から飲ませる練習をしましたが、吐き戻すことも多くて…。「栄養がとれないかもしれない、体重が減ってしまう」と思いつめ、まったく余裕のない毎日でした。周囲におなじ境遇の人はいなくて相談もできません。「もしかすると、ずっと口から食べられないかもしれない」と怖くてしかたがありませんでした。口から栄養をとれるようになったのは、生後7カ月で感染症を起こし入院したのがきっかけです。 ――口から食べられるようになるのに、どのような経緯があったのでしょうか? 寺川 この入院のとき、絶飲食となったのですが、空腹の感覚がわかるようになったようです。急にたくさん飲むようになりました。それまでは栄養が注入されていたため、いつも満たされていたようなんです。口から飲めるようになってから、離乳食も食べられるようになりました。 現在、晴貴は6歳になりました。毎日元気に保育園に通う、外遊びが大好きな男の子です。晴貴の疾患がわかったときは明るい未来が想像できず、毎日とても苦しかったです。こうした経験から2020年、先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会を立ち上げました。同じ疾患の子をもつ家族同士で情報交換を行ったり、悩みを打ち明けられたりする場所を設けたいと思ったんです。1人で抱えるのではなく、支えとなる場所でありたいと考えています。