資本でも宗教でもない。社会起業家が模索する、もう一つの生き方。
うちのメンバーに「いつか小説を書きたい」という人がいるのですが、以前その人と話している時に、「人から求められてお金になる言葉と、自分は美しいと思うのにお金にならない言葉、それらが全然違う場所にあるときに、諦めずに自分が大切だと感じるものを手放さないっていうのはすごく大事だよね」と話していて、確かにそうだよなと。 ── 自分の中の美の感覚。それは、良心と言い換えるられるのかもしれないですね。教わったものというよりはもともと備わっているものに気づくというか......。そして今の小説を書くことについての例えがまさに、社会起業における葛藤を言い表しているのかなと感じました。 本当にそうですね。先ほど話した「助ける人 / 助けられる人」というカテゴライズは、非常にシンプルでわかりやすいし、よく社会起業家育成プログラムで教わることなんです。わかりやすいフォーマットを作り、顧客を設定し、PDCAの枠に落とし込む。だけどそうするとどんどんグラデーションの部分が抜け落ちていくんですよ。 私自身もそんな教育を受けてきたけど、ふとそんなに明確に「助ける人 / 助けられる人」と分けられるものではないと気づいたんです。みんなグラデーションの中にいて、いろんな層があるのに、それに気づけないまま「かわいそう→助ける→終わり」になってしまってた。この複雑性とかジレンマみたいなものをちゃんと理解しながら、それでもなおベターを選び続けることが大事なんだと思うようになりました。 だけどそんなふうにモヤモヤと悩みながらも、やはり心のどこかでソーシャルプレッシャーは感じるし、持続的に活動して生活していくためにもお金は必要です。モヤモヤと同時進行で事業もうまくやらなければと思うと、「ああ、果たして私は、いつどこで何をすべきなのか......」と思うことはよくありますね。
「甘い蜜を飲まずして水を飲むのだ」
── 答えのない中で模索しながら、株式会社として存続する。それが「社会起業」というジャンルでなされていることだと思うのですが、その両輪を成り立たせる在り方とは、どういったものだと思われますか? ビジネスモデルとして解決する手法を戦略的に行う、ということも1つにはあるのですが、それとは別に「この会社がこの世の中にあり続けてほしい」と願われる存在であることが大事だと思います。 お金や規模で勝負する事業がいっぱいある中で、「そこではなくて『n=1を大切にしよう』とする事業が、この世に一つでもないと心が荒んでしまうな」「馬鹿売れしてなくて全然いいから、こういう組織が残っていてほしいな」という存在ですね。 まさに自分がSOLITに対してそう思っているからこそ、SOLITを残し続けるため頑張っている。そんな願いと希望と期待によって成り立っている会社だからすごく儚くもあるんですけど、そう思ってくれているだろう人が徐々に増えていってるのは実感しています。