押せ押せムードが一転、自陣で耐える展開に…… "普通の体育会"を通じて考えさせられる「頑張る」ことの意味
二つの「頑張る」
自分で自分に納得できるレベルの「頑張り」と、その納得に納得せず、まだ広がる目標との距離を詰めて、目標を超えていけるレベルの「頑張り」。この二つの「頑張り」の間には、えてして小さくない隔たりがあります。 そして、勝敗が明確に染め分けられるスポーツの世界では、前者の頑張りが意味をなさなくなってしまうことが多い。どんなに頑張っても、相手を上回る強みを身につけなければ、勝負には勝てないのですから。 都立大の場合、この二つの「頑張り」の間の隔たりが、年々、広がっていった気がします。部の置かれた苦境を考えれば仕方ないことだけど、そもそものスタート地点が、じりじりと下がっていった。そもそものラグビーの土台が危ういから、どんなに頑張ったつもりでも、目標までの距離は遠ざかっていった。追いかけても追いかけても、届かない。だから、どんなにチームビルディングを重ねても、ミエナイチカラを引き寄せられない。そんな風に。 実は社会に出た後も、様々なターニングポイントで問われてくるのは、二つの「頑張り」の後者の方になることが多い。目標との距離を詰めて、目標を超えていくための頑張り、なのだと思います。自己満足で満足せず、自分で自分を追い込んで、自分で自分の枠を超えて、ブレークスルーを遂げられるような頑張りなのだと思います。
アオハルは続く
最後の円陣。藤森さんは、部員たちに語りかけました。 「負けた悔しさと、どう向き合うか。そこから、すべてが始まる。この悔しさ、4年生は、もう、ラグビーで取り返すことはできない。けれど、社会に出て、この経験を生かして、ほかの何かで、取り返してほしい」 頑張ることの、本当の意味を知った、2024年の冬。 4年生は、次のステージで。下級生は、次のシーズンで。 あの日の青く高く澄んだ冬空のような、高い目標を抱く。それって、掛け値なしに、尊いことなのだと思います。 次につながる、いや、つなげなきゃならない、冬だったのだと思います。 今年も、1年間、お読みいただき、ありがとうございました。
中川文如