押せ押せムードが一転、自陣で耐える展開に…… "普通の体育会"を通じて考えさせられる「頑張る」ことの意味
100%、悔しくて
選手に負けないくらい、勝利にこだわり続けた岡田彩瑛(立川)。敗北のエンディングは、受け入れがたかった。 「100%、悔しい、しかない。悔しいしか……」 キャプテンのロック中原亮太(湘南)。院生の先輩、同期、後輩への感謝を言葉に託す。 「僕自身、引っ張れるタイプじゃなくて、それでも、みんな、協力してくれて、ついてきてくれて、ありがとう」 東京都立大学ラグビー部、2024年のシーズンが、終わった。
【取材後記】
都立大の取材を始めて、4年が経ちます。過去3年間、ドラマやマンガみたいに劇的な試合に立ち会ってきました。 残り数分を切ってから、息を吹き返したような連続トライで「逆転サヨナラ勝ち」をつかんだ試合。逆に、逆転サヨナラ負けを喫しそうな窮地で、第六感を研ぎ澄ませたようなディフェンスを繰り出して勝ちきった試合。ラストプレーで相手のゴールが決まれば、やはりサヨナラ負けの土壇場で、念が届いたようにキックがゴールポストをそれていった試合。 そのたびに、私は感じました。 これは、「ミエナイチカラ」が働いているに違いない、と。 組織マネジメントに精通したプロコーチ藤森啓介さんのもと、コロナ禍のオンラインミーティング、練習前のチームビルディングを、欠かさず、理詰めで貫いてきたのが、都立大です。 結果、選手とマネージャーの間の壁を溶かして、学年間の壁を溶かして、誰かのために、チームのために、みんなが振る舞うことができるようになる。次から次へと降ってくる難題を、他人事ではなく自分事と受け止めて行動することができるようになる。それが、都立大です。 その結束と一体感が、いざ試合でピンチやチャンスを迎えた時、グラウンドに立つ15人に、15人のポテンシャル以上の、無形のパワーを宿らせる。それが、ミエナイチカラになる。そう、私は感じてきました。 ただ、ミエナイチカラは発動されないまま、2024年が終わりました。 なぜだったのか。 「頑張る」ということの意味を、考えさせられます。 推薦枠などを持たない公立大の部活です。コロナ禍が直撃した2020年から、部員は減るばかりです。ラグビー経験のない初心者を広く受け入れることで、部を存続させてきました。少子化が止まらない時代でもあります。その方針転換、英断だったと思います。先細る競技の裾野を守り抜くためにも。 その反面、競技経験も運動経験も様々な個々の水準を一様に引き上げてチーム全体の水準をキープするのには、なお一層、時間がかかるようになりました。卒業と入学のサイクルが繰り返される学生スポーツで、3部の席をキープするためには、なお一層の「頑張り」が必要になりました。 この1年、選手とマネージャーが一緒になって、課題のフィジカル強化に取り組んできました。見違えるほど体の線が太くなった下級生がいました。そう、頑張っていました。 でも、その「頑張り」は、目標の3部残留に届く頑張りではなかった。 結果が、そう突きつけてきます。