「やってあげてる」では解決にならない…高校生がアフリカの例で感じた「傾聴力」の重要性
「無意識の上から目線」が「無意味な支援」に
“無意識のうちに上から目線になってしまっていたから、相手のことも知ろうとしなかったのかなと思いました。”という状況は、“Library”のケースだけではなく多くの場面で起こってきたことだと思います。特に開発協力の文脈では、支援する側・される側の間に、知らず知らずのうちに不均衡な力関係が生じることがあります。外部の人間として「課題解決」を掲げて、現場に入り何かに取り組もうとする時、取り組む人間が当事者から遠い存在であればあるほど、よほど気を付けておかなければ起こってしまいがちなことだと思います。 そんな残念な顛末にならないように、「課題解決」を想う一人として常に胸に留めておきたいと想うのが、「文化的謙虚さ(Cultural humility)」という考えです。他者との関わりの中で何かに取り組もうと思う時、まずは自分にとっての当たり前や常識を疑うことがとても大事だと思っています。 私たちは無意識のバイアス(アンコンシャス・バイアス)にまみれています。自分の信念や価値観などに対する理解を深めた上で、異なるものを受け止める心の準備をすること。そして自分のべき論や利己を押し付けていないかも振り返る。多様な人々の多様な価値観が入り混じる中においては、リスペクトを持って互いを認めて高めあい、互いの利益を追求していく姿が理想です。ですが、知らず知らずのうちに関わる人々の間に力の不均衡さが生じている場合、特に力学的に強い立場にある人が自分の誤りを自発的に正そうとする内省と自己批判を行う姿勢がないと、協力的な対話と持つことはとても難しくなります。 自分は視野狭窄になっているかもしれない、理解したつもりになっている部分があるかもしれない、異なる見方や解決策があるかもしれない...。目の前の人やことに対して謙虚に学ぶ姿勢をもっていれば、自ずと周りに対する接し方には配慮が生まれ、その先には対等でフェアな関係性が生まれると思います。そんな姿勢を「文化に対する謙虚さ」と表現するのですが、それには終わりがありません。刻々と変化する環境の中でそんな姿勢を常に発揮し続けるためには、自分も周りも学び続けること、間違ってしまった時は立ち止まって振り返り、思い込みを排除する勇気を持つこと。永遠にその学びを追求することが、文化に対する謙虚さの表れにつながります。